小さな成長 大きな幸せ

このまえ先輩のお坊さんと奈良の都をぽつりぽつりと歩いている時、興福寺の五重塔を脇に見ながらこんな歌を教えていただきました。
『手を打てばはいと答える鳥逃げる鯉は集まる猿沢の池』五重塔が水面に映る猿沢の池は県民にとって憩いの場であり、市街地や観光地にも隣接しているので旅館が集まる場所でもあります。
近頃奈良市の観光地はどこを見ても海外からの観光客が目立ち、旅館のフロントでは英語や北京語などが飛び交っています。
今では旅館の客室に受付専用の電話や呼び出しベルが取り付けられていますが、呼び出し電話が無いひと昔前は手を叩いて仲居さんを呼びました。
手を叩けば来てくれる。
これほど便利なことはないですが、その分隣の客の話し声もよく聞こえたそうです。
手を打った音を聞き「はい」と答えて慌てて駆けつけるのは仲居さんですが、庭先の鳥はその音に驚いて飛び立ってしまいます。
猿沢池にいる鯉はというと、餌にありつける音と勘違いして水面で口をパクパクさせて集まってきます。
情緒あふれるこの歌は手を打つ音には変わりないが受け取り方は様々であると伝えているのですね。
勿論鳥や鯉だけでなく、人によっても受け取り方は十人十色、同じ人でもその時の心によって千差万別あるのでしょう。
先日5歳になる上の息子を水泳に連れて行った時、ほんの小さな出来事がありました。
いつもは妻が連れていくことがほとんどで久しぶりに代役を買って出たものの、自分はプールに着いて何をどうするのか分からず、一通りのレクチャーを受け挑みました。
「プールから上がったら更衣室で着替えを手伝ってあげてね」との指導通り教室が終わり迎えに行くと、息子も私に気付きました。
すると怪訝そうな顔でこちらを見て「もう、あっちいって・・・自分でするから、あっちで待ってて」と言われました。
その言葉に立ち止まった私の姿を見て、周りの子どもたちは親子喧嘩が始まるのかと不安そうにしていましたが、「そうかー」と言って少し笑いながら扉を締めました。
昨年の一月に娘が生まれました。
第一子の運命でしょうがそれから独占していた親とのコミュニケーションの時間が減り、甘えん坊に拍車がかかるようになりました。
そんな息子からは想像出来ない言葉で、ヒョコっと出た“恥ずかしい”という芽を見つけて驚いたとともに、かつて感じたことがない幸せが込み上げてきました。
彼にとっては些細な一言ですが私にとっては周りを気にして少し背伸びをしている姿が何とも愛おしく感じました。
猿沢池のほとりのように、同じ言葉を聞いた周りの子どもは不安になり、私は幸せになった。
親によればこのような出来事は自分の手から離れることを寂しく感じる人もいるでしょうし、何も感じない人もいるでしょう。
同じことでも受け取り方によって幸、不幸があるのであれば、幸せを感じる事が出来るような心を育むことこそ大切だと思うのです。
不満や愚痴では成長しません。
努力の先に掴んだ喜びや感謝によって心は大きくなります。
お大師さんは般若心経秘鍵のなかで『医王の眼には途(ミチ)に触れてみな薬なり、解宝の人は鉱石(コウシャク)を宝と見る』という言葉を残されました。
優れた医者の目には道端の雑草も薬草に見える、宝石がわかる人はただの石のかたまりから宝を見出すという意味です。
優れた人は誰も気付かないところに大きな価値を見出すことができ、また仏の眼で見れば全てのものは宝であり、無駄なものなど1つもないと伝えてくれています。
子どもが手を打ち、わたしが小さな宝をひとつ見つけた出来事でした。

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