釈迦の手のひら

「西遊記」の中で、孫悟空はお釈迦さまから簡単に逃れることを証明するために筋斗雲に飛び乗り全速力で千里を渡り、世界の端まで飛び去りました。
するとそこには雲を超えるほどの5本の大きな柱がそびえ立っており、真ん中の1本に自分の名前を書いて帰りました。
意気揚々とそのことを告げるとお釈迦さまは自分の手のひらを悟空に見せました。
なんと中指には悟空が世界の末端の柱に書いたはずの名前があるではないですか。
雲に乗り懸命に逃げ回っていたのは、実はお釈迦様の手のひらだったのです。
“縁”というのはこのようなものかもしれません。
潮流に浮かぶ一隻の小舟のように、気付かぬうちに大きく動いていることもあります。
そんな大きな流れは奇跡的な人との出会いや出来事などを起こすことがあります。
それはお釈迦様の手のひらと気付かぬうちに、“縁”で出来た指先へとたどり着いた結果なのかもしれません。
今回は私が経験した“釈迦の手のひら”の1つをお話いたします。
私は大学を卒業した後に高野山で1年間修行をして、そのあと宝塚市にある清荒神清澄寺で3年間、管長さんの側につき“拝む”ということを教えていただきました。
長弓寺、円生院は真言宗18派の中の“西大寺派”に属しており、道場を出たあと他派本山の清澄寺へ修行に行くのは稀なことであります。
そんなご縁にあずかることができたのは数奇な出来事があったお陰でした。
私が高野山へ修行に入山したのは、大学まで入れてくれた親への“お礼”の意味からでした。
なので1年間の修行を開けた後は自分の道を模索すべく仏道を離れるつもりでした。
下山が近づき今後のことを考えていた折、偶然にも父親の友人の僧侶とバッタリ会い、こんな会話をしました。
「宥亮、4月からどうするんだ?」
「友人を頼って海外にでも行き、暫く生活しようかなと思っています」
「そうか、それじゃ僕に任せておきなさい。じゃー最後まで気を抜かずにな」
「え?・・・・はぁ」
「任せておきなさい」
という言葉は社交辞令ぐらいに思っていました。
ところが暫くすると父親から
「お前が次に入るお寺が決まった。管長さんの随行として入る予定になっている。相手方にはお願いしておいたから3年間行ってこい」
との連絡が入りました。
本心では「“はぁ”って言っただけで3年間が決まるなんて、ンなアホな~」
と、わけの分からないまま清澄寺へ。
後から知ったのですが、ここは他派からの受け入れは原則1人のみ。
しかも末寺の若手僧侶がいないときに限ってのときだけ。
極めて門戸を開くことの少ない場所です。
高野山での偶然の出会い、偶然開いた扉、数々の奇跡が重なり、縁がつながったのです。
それから3年間修行させていただき清荒神を卒業することとなり、自坊に戻って円生院本尊のお不動さん前で拝むようになったある時、本尊さんの真下にある仏具が入った場所を掃除していました。
するとその中に1つだけ、見かけたことのない古いお札の束を見つけました。
開けてみると梵字が書いており、最後に「清荒神清澄寺」の文字。
その時驚愕したのを覚えています。
たった1つのお札が偶然に入寺したお寺のお札だったことは、お不動さんの大きな力を感じずにはおれません。
恐怖さえ感じました。
お釈迦様の手のひらを見た悟空もこんな気持ちだったのでしょう。
先師円生院住職の信仰がお不動様によって繋げてつなげていただいた奇跡的な縁が私の仏道を切り開いてくれました。
今では感謝をもってお不動様の手の中に身を委ねています。

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