赤い海、青い海②

(前回からの続き)

確かに大学進学までテストの点数など数値化された成績のみを求められる様は、子ども同士の過当競争であり、レッドオーシャンに似ているところがあります。
一方自分の子どもの特質を見極め、得意分野の個性を伸ばしてあげることは、将来ブルーオーシャンの領域に入る手助けになります。
教わったマーケティング理論は経済利益を軸として考えていますので、全てが子育てに当てはまるわけでもありませんが“パパ友”も経済学を通して私の視点を変えようとしてくれたのだと思います。
もちろん個性を伸ばす為、子どもに何でも好きな事だけをさせておけばそれでいい、そういうことを伝えたかったのではありませんし、人生のどんなステージにいても競争というものはつきものです。
ただ、常識というベールをまとった親の利益と子どもの利益は必ずしも一致するものではなく、競争を強要することは子どもだけではなく、自分をも苦しめる原因になってしまいます。
そういえば“ひらがな”の読み書きの前にも同じようなことを思っていました。
ハイハイする時期が普通の赤ちゃんよりも早ければそれを喜び、トイレでの排泄がクラスの友達よりも遅ければ不安に駆られていました。
いわば私が子どもを乗せ、レッドオーシャンに向けて舵を切っていたのです。
本来子どもは“今楽しい”と思うことに一直線です。
自分から進んでひらがなを覚えたいと思う子供は少数派であり、小さい頃から塾に行かせて勉強をさせるきっかけを作るのは親がほとんどです。
そのきっかけとは「将来困らないように」だとか「周りもそんな子が増えているから」など、ネガティブな考えからではないでしょうか。
ひらがなを読めないことが不安になったのは、子供ではなく私自身でありました。
親が不安に思えば子どもも同じく不安になるものです。
児童精神科の医者を目指す研修医が大学病院で行う訓練にこういったものがあるようです。
1組の親と子どもが病院に訪れて診察を受ける時に2人の研修医を同席させます。
親子が帰ったあと訓練を受ける1人の研修医は徹底的に子どもの幸せばかりを考え問題を解決しようとします。
そしてもうひとりは子どもの事はそっちのけで、親の幸せばかりを求めます。
そして議論を行い、上級の精神科医がその裁断をする。
ある日は親と子の立場を変え、また徹底的に討論する。
そうして親と子ども両方の幸せを考えることのできる思考を学ぶのですが、ここで1つの結論が出るようです。
それは親の幸せをないがしろにしても決して子どもは幸せにならないということです。
幸せな親の土台がなければ子どもの利益は望めないのです。
つまり親の心が不安定な土台に子の学びを立てつけても倒壊したり、いびつな建物となってしますということです。
堅固な地盤を築くためには親の幸せは不可欠なのです。
他の子どもと比べて心がザワザワすること、心が嫉妬に焼かれることがあります。
しかし決して焦ることなく、いつか分かるようになることを確信し繰り返し教え伝えること、願わくば一緒に楽しみながら取り組むことが育児のコツなんだと教えてもらいました。
仏教の説く“慈悲”とは全ての生けるものに対し求めることのない愛を与えることです。
“与える愛”として暫しお腹の中の赤ちゃんに対する母親の愛として例えられます。
男女の愛は時として執着と変わり、それが原因で怒りや憎悪へと変わっていきますが、慈悲は決して対立せず寄り添う関係でいます。
例え成績が悪くても「ほら、ちゃんとしなさいと言ったでしょ。
あなたが悪いのよ」と責任を叱責することなく、取り組むことのできないことを哀れみ寄り添ってあげるはずです。
そして時には叱り、時には褒めてあげることも出来るはずです。
そして、子どものために幸せであるように、子どものために慈悲を忘れないように、私たちも日々成長(修行)か必要なんだと思います。

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