いのちの空間

『山ほど大きい黒い塊が足元から真っ直ぐ上へと伸びてはいるが、まだ青一色に彩られたどこまでも高い青い空には届かない。見つめると吸い込まれそうで、不安ながらも心が躍る、そんな気持ちで見上げていた』
私が思い出すことのできる最古の記憶の断片を出来る限りカッコよく書いてみました(笑)。
これは私が幼いころ、お寺の境内の杉林の中で見上げた時まぶたに焼き付いたイメージと感覚です。
記憶とは本当に不思議なものです。
妻との約束はすぐ忘れてしまうのに、まだ話すこともおぼつかない幼少期に見た記憶が目を閉じて目を凝らせば甦ってきます。
深層心理学では、このような思い出すことのできる記憶の下にさらに深い記憶の層が存在しており、無意識ではあるが日常生活の心理状況に対して多大なる影響を及ぼしているといわれています。
では記憶の最下層の形成はいつか、人はいつから記憶をするのか、それは胎内から始まるそうです。
現在では妊娠中からクラッシックを聞いたり、お腹をなでながら話しかけたりする“胎教”は胎児により良い影響を与える教育として広く知られるようになりました。
しかし4半世紀前は産科医療に携わる機関においても、胎児期から記憶が始まる学説はあまり認知されていなかったそうです。
そんな日本において“胎内記憶”という言葉を世間に広め、胎内記憶研究の第一人者として知られる医学博士、池川明さんの著書『胎内記憶』では、多くの子ども達には胎内記憶や誕生記憶を引き出すことができ、胎児にも意思や感情があると記されています。
2002年に行われた幼稚園児、保育園児を対象にした数千人規模のアンケート調査では、3人に1人の子どもに胎内記憶があることが明らかになりました。
「暗くてあたたかかった」や「お母さんの声が聞こえていた」などシンプルな記憶が大半ですが、中には詳細なものまでありました。
ある母親が妊娠中に激しい胎動があり「痛い、あまり動かないで」といった後、胎動が極端に減ったそうです。
その子が4歳になり「なぜお腹の中であまり動かなくなったの?」と聞くと「ママが“痛い”って言ったから、かわいそうだから動かなかったの」と答えました。
勿論母親の言葉を理解するのは不可能なので、母親の感覚を胎児が受け取ったのではないでしょうか。
子ども達へのアンケートの中には科学では証明できないが、人間の意識のあり方にとって興味深いものも数多く含まれています。
母親のお腹に宿る前に「雲の上」や「魔法の国」から地上の世界を眺め、やがて生まれることを決めて自ら親を選んで生まれてきたというのです。
全ての子ども達は、父母の2人を幸せにするために宿ってくれた命である、だからこそ親は授かったかけがえのない命を慈しむ。
輪廻転生や前世を肯定するものとして捉えているのではなく、私は親と子の絆、死生観、命の価値を育むことのできる素晴らしい考え方だと思います。
先日、長弓寺の本堂でお勤めをしていると、不意にこんな考えが浮かんできました。
「ここは“いのちの空間”ではないのか」と。
普段は電灯を一切使用せずローソクの明かりのみで照らされる堂内。
1人座っていると自分の読経が反響して自分に返ってきます。
仏さまを照らすローソクの芯が燃える音、外でお参りする方の足音、違った反響をしながら内外の音が耳に入ってきます。
朱色が塗られたこの空間の中心には母親のような容姿の十一面観音様が、まるで全てを包み込んでくれるような優しい表情で見守ってくれています。
改めて思うと、これらいたるところに胎内を想起させられるものがあります。
このお堂は、室町時代に一流の宮大工が尽力して建てられたものです。
人々に安心を与える空間を建立する際に深層心理に潜む胎内記憶が影響したとて何ら不思議ではありません。
とするならばわが子に抱く祈りが仏様を生み、その仏様が私たちを救ってこられたことになります。
『この心に住すればすなわちこれ仏道を修す』お大師さんは「本来あるべき心に帰ろうとするのが仏道の修行である」と述べておられます。
本来あった心、その心に手が届き、そして感じる事が出来るのがこの“いのちの空間”なのでしょう。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

お問い合わせ

ご祈願のお申込み、お寺についてのご質問などは下記フォームよりお気軽にお問い合わせください。
3日以内にお返事をさせていただきます。
問い合わせ後に自動返信メールがこない場合は、メールアドレスを確認の上、お手数ですが再度お問合せください。