変わらないこと変わること

長いあいだ心の中にある引っかかり、その多くは自分にとってあまり良くない後ろ向きな記憶だったりするのですが、それが思わぬ瞬間、硬い氷が突然溶けて潤いを与えてくれるように肯定的なものに変化することがあります。
つい先日、お彼岸のお参りの中でこんなことがありました。
お勤めが終わり、暫しの雑談の最中にご主人から
「御仏壇の中に石が置いてあると思うねんけど、あれはサイパンでいただいてきたものですねん」
と言われ、改めて拝見すると、小さな石が大切そうにお祀りされていました。
あれは何かとお訪ねすると
「先日親父が戦死したサイパンに初めて行って、現場となった地を歩き、ここが最後の場所だろうと思われる所で拾ってきた石なんです。ようやく気持ちの整理が付きました」と。
ご主人が1歳にも満たない時に父親は太平洋戦争に赴き帰らぬ人となったそうです。
何かお写真は残っているのか尋ねると「たった1枚だけ有ります」と言いながら斜め上の長押に掛けられた白黒写真を指さし、見ると軍服姿の凛々しい男性の手には小さな赤子が抱かれていました。
それを見た時に「あ、繋がった」と思い思わず涙が溢れてきました。
そこから旦那さんにこんな話をさせていただきました。
以前にも日記で書きましたが、私は東日本大震災が起こった際すぐに被災地へ行けなかった、何かすべきと思った事を出来なかったという、それらの後ろめたい気持ち、後悔が自分から離れません。
被災地へ行くことは“自分の為”でもあります。
私は今年の3月11日も東北に赴き、偶然ご縁が出来た南三陸町の大雄寺様にてお勤めをしました。
そこに向かう道中、仙台空港から約2時間半の道のりをレンタカーを借りラジオを流しながら走っていると、多くの震災関連の内容が耳に入ってきました。
4年経った現在の復興状況、仮設住宅に住まわれている方々の現状。
未来への展望など様々。
そんな中リスナーからラジオに寄せられた1通のファックスが紹介されました。
それは「4年前の今日、私は家族を津波で失いました。4年経った今だから思えることがあります。それは起こってしまった事実は変わらないが、その意味は変わる、変えられるものなんだ」というものです。
とても印象的な言葉だったので何となく頭からくっ付いて離れませんでした。
大雄寺様に到着し、お堂でお接待や法話をいただいたあと、海が見える高台に登り地震が起こった14時46分に黙とうを致しました。
それに合わせて鳴らされたサイレンを聞きながら、そこから見える景色を見ると山裾に津波が到達した高さが分かるような色の違いがあり、今でも震災の日にテレビの向こう側で見た津波が町を呑みこんでいく景色が蘇ってきます。
そのあと、そこに集まっている方々とお話をしている時にラジオから聞こえてきた言葉について「起こってしまった事実は変わらないが、その意味は変わる、そうなんでしょうかね」と問いかけると、私の母親程の歳の女性からこんな答えが返ってきました。
「そうだね、あれから4年、毎年ここ来てサイレン聞いて黙とうする。悲しいことには変わりはないけど笑顔は増えているね。そういうことじゃないかな」と。
旦那さんもサイパンへ行き何かに触れてその意味が変わり気持ちの整理がついたのだと思います。
父親の戦死した場所に訪れ、70年分の想いの整理がついた旦那さん、被災され悲しみを背負うも徐々に笑顔が増える奥さん、いずれも失った悲しみを感じることで、それが温もりに変わり“意味”は変わるのだと気付きました。
それは誰にとっても。

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