生きているお大師さん

4月2日から5月の21日まで、高野山では開創1200年記念事業として、真言宗各派以外にも曹洞宗永平寺など他宗派の山々も高野山に参集し、大法会が厳修されています。
私も数日お手伝いや、法会に参加するため高野山に登っていますが、沢山の参拝者のなか白装束に網代笠のお遍路装束で奥の院へお参りされる檀信徒の方の姿を拝見し昔の思い出が蘇ってきました。
 13年前、私はまだ一般大学3回生で
「そろそろ卒業後のことを考えないといけない、寺を継ぐのかそれとも就職するのか、どうしよう」
と考えていたころ、イギリスの公共放送局のBBCが高野山の特集をしていました。
 「海抜1千メートルの山上にある高野山の奥の院、その入口にあたる“一の橋”から2キロに亘る参道の両側には大小20万基を超える墓碑や記念碑が立ち並び、このような一大墓石群は世界的に見ても類例が見当たらないものであります。これらの巨大埋葬地となったのは弘法大師の“入定信仰”に他なりません。“入定信仰”とは、驚くことに最先端技術の発達したこの日本に於いて、弘法大師空海がここ奥の院で1000年以上生き続けていると、人々に信じられているのです」
とアンビリーバボーな顔をしながらレポーターが力説していました。
そのとき私は
「いやいや誰も本当に生きているなんて思ってないよ」
などと単純に考えていました。
しかしそれはとても浅い考えであったと今では思えます。
 大学を卒業し高野山での1年の修行のあと、私は師の勧めに従い四国への歩き遍路にむかいました。
そこでは僧侶以外にも様々な方が四国一周1300キロの道を自らの足で歩き、時には同じ道すがら色々なことを語りながら進むこともあります。
1番札所の霊山寺から出発した時は右も左もわからず、只々地図をグルグル回しながら進む散歩道でしたが、何度も歩き遍路をなされている方々に様々な事を教えていただきながら巡礼へと変わっていきました。
ある時おじいさんと歩いていると
「君もお大師さんに会えたらいいね」
と突然言われ、
「そうですね、会いたいです」
と言いながらも、その時は“宇宙人に遭遇する”ぐらい突拍子もないこととして話を受け流すだけでありました。
 そして遍路も中盤に差し掛かり、難所と言われる険しい山道の途中で、ある僧侶に出会いました。
その方は私と同じ修行の道場を3期前に卒業された先輩であり、一般的には1番札所から88番札所を巡拝するとろを88番から出発して1番へと向かう“逆打ち”をされていました。
山中で突然自分と同じような装束の方にお会いし、緊張しつつも安堵するような気持ちになり、自己紹介や簡単なこれまでの話をして別れたのですが、お互い成満した後に共通の知り合いの方から聞いた話によると、その方は
「山中で出会った池尾君、彼が僕にとって“お大師さん”やってん」
と話をされていたそうです。
それを聞いた時は驚きました。
そのように有り難い言葉をなぜ友人に話しておられたのか理由は聞いていません。
しかし何となく分かる気がします。
駆け出しの頃は“お大師さん”と言われても ピンときませんでした。
しかし弘法大師空海の行った偉業を知れば知るほど、どれほど今の日本に影響を及ぼしたのか、またどれほど人々を1200年にわたり救ってこられたのか計りしれません。
また同時に“同行二人”の言葉通り、何度も私の背中を押して下さいました。
或る時は書により、また或る時は人を介して。
あの方も同じくお大師さんの一片を私に見出したのではないでしょうか。
お大師さんは高野山建立の目的をこう記されました。
ひとつは
「仏様の御加護に報いるため」。
もうひとつは
「高野山を開創し、衆生の苦しみを取り除き、皆が幸せに暮らせる世界を作りたい」と。
是非、生きているお大師さんに会いに高野山へ行ってみてください。

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