小さなおっしょさん

巣の中のひな鳥が親鳥の両翼のはたたきを真似し、時期が来れば広い世界に飛び立つように、お手本となるものから“学ぶ”ことは“まねをする”ことから始まります。
“まなび”という言葉は“まね[真似]”から“まねび[学び]”へと変化し出来上がりました。
尊敬する人、目指すべき人に近づきたいという思いがあれば、まず徹底的にまねることから始めればいいのです。
それは僧侶や職人気質の仕事の世界だけではなく、あらゆる人に当てはまるはずです。
あの女優さんが素敵だと思えば服装から、話し方から真似てみる。
隣のお兄ちゃんでも構いません。
お大師さんが『仏様の目で見ればこの世の全ての男性はあなたの父、女性はあなたの母であり、あらゆる人々があなたの両親や先生、リーダーでもあるのです』という言葉を残されたように、自身の成長の糧は全ての人が持ってくれていると述べられました。
仏さまの智慧の目で見ると、万人からそれらを見つける事ができ、自身の成長の糧になる。
ややもすれば他人の荒探しばかりをしがちな自分を諭してくれる素晴らしい教えであると思います。
私も最近、身近な所にまねるべき師匠がいることに気付きました。
それは3歳になる息子です。
我が子が師君であるとは鶏が卵に返ったような、何とも滑稽この上ない話なのですが、子どもを見ていると、実に“生きている”事を観じます。
楽しければ楽しいほど笑い、苦しければ苦しいほど泣く。
自分勝手といった意味合いではなく、思うままに尽くす無垢な“我がまま”な姿を見ていると羨ましいほどに“いのち”の風を観じてやみません。
もちろんそれは私に余裕があるときのことで、大半は“わがまま”にストレスを感じてしまいます。
チャイルドシートを嫌い、泣きわめきながら抵抗する子供を無理やり座らせシートベルトを着けるときなど、周りの方が唖然とするほどの鬼の顔をしてしまうこともあります。
逆に周りの親が反面教師となることも。
おもちゃ屋さんでミニカーを買ってあげるため列に並んでいると、女の子を連れたお母さんが店員さんに着せ替え人形がある場所を訪ねておられました。
教えてもらった後「いいね、お譲ちゃん」との店員さんの声に母親は「勉強頑張ったご褒美に着せ替え人形買ってもらえんねんな。
私の着せ替え人形はあんたやな」と頭を撫でながら笑って答えていました。
その母親に女の子は何とも言えない冷めた表情のまま手を引かれていきました。
時折子供は親の所有物だと勘違いしてしまいます。
幸い私の妻も子供教育に携わる仕事を行っていますので、よく子供との接し方についてアドバイスをしてくれます。
さっきの経緯を話すとこんな話をしてくれました。
育児の中で親の喜びは大きく分けて2つある。
1つは子供に期待できる喜び、もうひとつは子供を幸せにすることが出来る喜びだそうです。
現代では前者の子供への将来を期待する比重が重くなりがちです。
その原因の一端には少子化などが挙げられるでしょうが、これが大きくなりすぎると期待に応えてくれた時だけの条件付きの愛情に陥ってしまい、子供は愛されている実感を失っていくそうです。
言いつけを守った時、勉強が出来た時に褒めてあげるのは、その子の先を見据えた教育としてとても大切なことです。
しかしそれ以上に今この瞬間を幸せにしてあげる喜びを、この時間の積み重ねの方が大事なことだそうです。
“今を大切に”私もこれを心がけるようになり不思議と子供の純真な笑顔がとても尊いものに見えてきました。
子供の笑顔を真似るのもいいものです。
我が家の小さな“おっしょさん”、今日も何かを教えてくれる予感がいたします。

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