頭を丸めて落とすもの

2月の上旬、ある檀家さん宅へ月参りに行くと、とても興味深いことを教えてくれました。
その家の主のお婆ちゃんと、土曜日の休日だったので遊びに来ていた小学生の女の子のお孫さんと私、3人で手を合わせお勤めした後、いつものようにお茶をいただきながら世間話をしていました。
すると女の子がお婆ちゃんに「ミナミちゃんもお坊さんと同じ頭になったんだよ」と話しかけていました。
尋ねると「AKB48のみなみちゃんが髪の毛を切って謝ってたんだよ」と教えてくれたのですが、それでもさっぱり分からなかった私は自宅へ帰りインターネットで調べ、ようやく理解できました。
今のジャパニーズ・ポップカルチャーを牽引するAKB48のメンバーである峯岸みなみさんが、恋愛禁止のルールを破り、丸坊主にして謝罪をおこなったそうです。
動画コンテンツ共有サイトにアップされた画面には、ロングヘアーをバッサリ落とし、自分で切ったかのようなデコボコな丸刈り頭でファンに向けて泣きながらメッセージを語る彼女が映っていました。
彼女の言葉を要約すると、「この度は私の軽率な行動でたくさんのみなさまにご心配をおかけし、居ても立ってもいられず丸刈りにすることを自分で決めました。こんなことで許していただけるとは思いませんがAKB48を辞めたくありません。全て私が悪かったです。本当にごめんなさい」といった内容です。
男性が頭を丸めることは今やお坊さんや野球部員だけでなく、幅広い方がファッション感覚で、ヘアースタイルの1つとして定着しています。
しかしアイドルの女の子がそれをおこなうというのは稀なことで、多くの人々の心情に何かしら訴えかけるものがあり、大変な注目を集めることに繋がったそうです。
ひょっとすると檀家さんのお孫さんは、お坊さん(私)も悪いことしてしまったので反省をしてこの頭になったのかな、と思っているのかもしれませんね。
さて、彼女の言動と行動はおそらく反省と罪滅ぼしのためのものであるようで、出家した僧侶が頭を剃るそれとは意味合いが違っているようです。
仏教の剃髪がどんな意味を持つかというと、驕慢の心、つまりおごり高ぶって人を見下し勝手なことをする心を捨て去り、種々の煩悩から離れた心を持続させる戒め(ルール)であり、謝罪のためになすものではありません。
ただ共通点がまったくないわけではなく、両方に言えることは頭を丸めることによって自己にかかっている重荷を降ろそうとしていることです。
重荷であるもの、仏教であれば驕慢や煩悩、謝罪であればその罪を捨てさるが為の行為であり、まさに重要なことは身軽になった自己がどう変化をし、何を為すかということです。
この度の件で彼女に対し、好感を持って謝罪を受け入れている方は少ないそうです。
中には「応援していたのに裏切られたので、もう見限った」という意見もあります。
しかし身軽になった彼女がどこに進み、どういった変化を遂げるのか温かく見守ることは私にとって楽しみになりました。
先ほど僧侶は驕慢や煩悩を捨て去った心を保つため日々剃髪をする、彼女の謝罪とは異なると言いましたが、私は残念ながらそのような状態に到達していません。
皆さんと同じように日々反省と罪滅ぼしの連続であり、そこから来る挫折感、劣等感から逃れることが出来ずに苦しんでいます。
あんなことも出来ない、こんな事も出来ない。
また失敗してしまった、また人に迷惑をかけてしまった。
また逃げてしまったなどと、剃髪しているにも関わらずウニョウニョと淀んだ薄暗い気持ちが剃った頭に芽生えてきます。
だが仏教では泥の中から生まれる蓮の花に表されているように、そんな苦しみも自分を変えるための縁起であるなら、有り難い心の肥料になり得ると考えられています。
お大師さんの残された言葉の中にも『煩悩の因縁数量あること無ければ、解脱の因縁もまた数量あることなし』というものがあります。
煩悩にさいなまれ、生きていくことはとても苦しいこと、辛いことです。
しかしその苦しみが無ければ決して悟りにはつながらない、煩悩が多ければ多いほど悟りの縁起も多くなると説かれています。
願わくは彼女がこれを縁起に思わず応援したくなるような素敵な方に成長すれば、そして私も思わず手を合わせたくなるような僧侶に成長できればと思っています。

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