狭い部屋から大空の下へ

寺子屋新聞もvol.4、こうして悠悠日記を綴ることで私の日常にも少しの変化が起こっています。
それは新聞をよく読むようになったことです。
流し読みではあるが何か目に留まる記事があれば切り抜きファイルに収め、改めて見返してみると、私がもつ社会への視点というのも自己認識できます。
ここ数ヶ月のマイスクラップ、最も多いカテゴリーは“いじめ問題”です。
大津市の中学2年生男子がいじめを苦に自殺してから、はや1年が経ちます。
新聞やテレビ、インターネットにも多くの著名人がコメントを寄せています。
因みに野田総理大臣のコメントは「いじめられている子にぜひ伝えたいことがある。
あなたは一人ではなく、あなたを守ろうとする人は必ずいる。
誰でもいいから相談してほしい」といったものでした。
私は今まで教育現場に立ったことのない素人です。
ですが被害者、加害者、傍観者にいつでもなり得る学生を経て現在僧侶になっています。
その時代の経験をたどって私なりの思いを綴ります。
私は高校3年生の一時期、クラスから無視のいじめにあっていました。
いや、ひょっとするとそう思っていたのは私だけかもしれませんが。
中学生の頃からギターが好きだった私は高校時代、他校の友達とバンドを組んでいました。
授業が終わると友人宅で好きな音楽をかけ楽器を弾き、夜中まで遊んではそのまま泊まって高校へ行く。
自宅へ帰らないこともしばしばで、夜更かしがすぎて授業中に居眠りをしていることもよくありました。
ある日の授業中、腕を枕に寝ていると何やら口元に冷たいものを感じました。
驚くことに先生が机の上にあったジュースを寝ている私にめがけ、ドボドボと流し落としていたのです。
目を覚まし状況を把握し「何すんねん」といったとき、周りを見ると皆がニヤニヤと笑っていました。
私は教師がした行為ではなく、それを止めることもなく笑って傍観していた友達に対し、ショックで仕方ありませんでした。
そもそも不真面目であった私に落ち度があったのですが、それからというもののクラスの友達に不信感を持ってしまい、距離を置くようになりました。
敵意むき出しの私に話しかける者などいるはずもなく、無視されるようになりました。
その出来事が起こった当初は当事者としての熱もあり強気でしたが、冷めて冷静になると今までの教室とはまるで別世界。
誰ともコミュニケーションが取れないことは本当に苦しいことでした。
まるで何枚もの布団に包まれ目が見えず動きが取れず、息が詰まるような。
他人の笑い声が胸に突き刺さり、何か悪口を言われているような錯覚に陥って休み時間が最も嫌な時間帯でした。
私の場合、幸いにも授業が終わり外に出ると友達や音楽が迎えてくれました。
結局数週間が経つと、いつの間にかもと通りの学生生活に戻っていましたが、あの出来事が起きてからの胸が締め付けられる体験はよく覚えています。
大津の事件では自殺の練習として首を絞めつけられたり「死んでしまえ」と罵られたり、凄惨ないじめの内容であったそうです。
事件が起こった後の学校側、教育委員会の対応、はたまた先生、保護者の現状、今いろんな議論がなされています。
しかしいじめの解決法に“正答”は見つかりません。
私が言いたいことは“辛かったら休んじゃえ!”ということ、そして“自分をもっと大切に”ということです。
“そんなことを言っては競争社会に出てから困るぞ”という意見もあるでしょうが、ただ無視をされる事だけでもあれほど苦しいことなのに、直接的な暴力に曝されている子ども達に「それでも頑張れ」などとは決して言えません。
教室は素晴らしいものを育む場でもあり一歩間違えば監獄にもなり得る場所です。
命を断つこと以外の逃げ道は必ず必要です。
いじめている君へ、「は鉄より生じ、その鉄を壊す」。
必ず悪行は自己に錆を生み、因果応報により自分自身へ還ってきます。
いじめられている君へ、辛ければ狭い部屋から逃げてしまおう、外に出るとたくさんの選択が待っているのだから。
そして決して自分を嫌いにならないでください。

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