寺子屋ってなに?2

現在では体罰問題などにより、学校などの教育機関では生徒や保護者の立場が強まる傾向にあるようですが、当時は“雷師匠”とあだ名が付くような厳しい先生のいるところほど人気があったそうです。
学生の記憶をたどると、私の中学校にも“雷師匠”と呼ばれるような大変厳しい先生がいました。
クラブ活動の顧問でもあり、練習や試合でミスをし、その“雷”に触れると平手や時にはパイプ椅子まで飛んできましたが、今でも皆から慕われる偉大な先生です。
その先生にお世話になった私の同級生数人にその先生との思い出を聞いてみると、一様に肯定的な答えが返ってきました。
「真剣に向き合ってくれていた気がした」
「教師と生徒、大人と子供のようながあまりなかった」
「人間味があった」
「情熱と愛情があふれていた」
「頑張ることは気持いいことだと教えてくれた」などなど。
ある時、雷師匠が他の教師と口論になった際、
「こいつらもこいつらなりに一生懸命考えているんですよ」
と私たちをかばってくれ、とても感動したのを覚えています。
その先生からは、問題を解くような知識だけではなく、もっと大切な教育を授けられました。
いつの時代においても教育問題は取り沙汰されていますが、では我々が求める“教育”とは一体何なのでしょう。
“学校”と呼ばれる機関においては単に学力向上だけを目指すのではなく、自然な欲求として学ぶことを促進させたり、人格向上を促すことのできる“人づくり”こそが真の目的ではないでしょうか。
人間という文字が示しているように、人と人との間には違った繋がり、関わり合いを持っています。
勿論1人1人の能力も違います。
そんな子ども達の違いを重んじることは教育にとって重要なことであり、全てを同じに取り扱うことこそ教育の放棄ではないでしょうか。
“差別”と“区別”は違うのです。
個々人を尊重する“人づくり”の為には子どもの成長の土台を担う親や家庭での教育力、地域の教育力、これらが結集出来る場としての学校でないと達成されません。
ましてや自己の権利だけを追い求め、その願望のみを主張する独断的な考えでどうしてこの国の将来を担う人材を育む事が出来ましょうか。
かの二宮金次郎と同じく江戸時代の農政学者、農民指導者であった大原幽学は下総の地で経世済民のために人生を尽くし、協同組合の先駆的な運動を行った方です。
彼の著書である『道徳百語』にはこのような事が書かれています。
「他人の子もわが子とひとしく愛すべきだ。
我が子を他人の子よりかわいく思うのは通常人の常ではあるが、そのようであっては思いやりの心がないことだ。
他人の子といえども、その子の親は必ず可愛く思うものだ。
だから、他人も自分も、子どもを可愛く思うのは同じだと、その心を思いやれば、他人の子といえども決してわが子と区別する理由はない。
思いやりの情が厚いか薄いかは、子を愛する場合になって、はっきりと分かるものだから、わが道友たちは常にこの思いやりを忘れず、他人の子といえどもわが子のように愛し、決して区別して「どこぞこの子は鼻がたれている。
だれぞそれの子はシラミがついている」といって、これをしりぞけてはいけない。
もしそのような子が遊びに来た時は、これをかわいく思い、それをとってやるようにせよ」と。
このような思想から見受けられるように、江戸時代は自他の子を分け隔てることなく人と人との直接的な繋がりを重視し、地に足を踏まえて生活を営む人間そのものの時代であったようです。
その地から自然に生まれ花開いた寺子屋は、まさしく人の道を学ぶ場所であり、今日現代の教育でも再考察すべき点は数多く存在すると思います。
戦後の復興からバブルの崩壊、そして何ともいえないこの倦怠感を纏った日本で形を変えてもう一度、かつての寺子屋のような活動が興れば一筋の光明となりえるのではないでしょうか。
その一助となれるよう私は“寺子屋”にむけて夢を膨らませています。

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