5年越しのコイ

早くもこの新聞を発刊し11回目を迎えました。
月参りや法事のとき壇家さん にお渡しすると「楽しみにしているので続けてね!」と温かいお声掛けをしてくださいます。
“継続は力なり”幼いころから何度も聞いたこの言葉は、いま強く私の心に響いています。
というのもこの寺子屋新聞は発刊してまだ1年足らずですが、5年前から毎年試行錯誤しながら取り組んでも失敗し続け、ようやく今年その“継続”が実を結びそうな試みがあります。
その“5年越しの恋”とは池に蓮の花を咲かせることです。
長弓寺には本堂の鬼門、北東の方角に位置する“龍神池”と南手の“亀池”、それに円生院の南側にある“蓮池”と水をはった池が3か所あります。
今も昔もお寺にとって何としてでも避けなければいけないことの1つに火災があります。
現在では電話1つですぐに消防車が駆け付けてくれますが、ひと昔前は“火事と喧嘩は江戸の花”という言葉が残るほど頻繁に火災が発生し、そこに住む皆が協力して消火にあたらねばなりませんでした。
長弓寺には延焼防止を防ぐため、現代の放水銃代わりをしていた竜吐水(りゅうどすい)という木製のポンプ式放水具が残っており、火災が起きた時は池から水を汲み上げ屋根の上に放水していたそうです。
古寺に訪れると本堂近くに池があるのはそのためで、お堂の焼失を免れることの出来ない大火が起これば仏様やご先祖様のお位牌をその池に投げ入れたそうです。
長弓寺本堂では毎年1月後半に消防ポンプ車で蓮池より水 をくみ上げ本堂の消火にあたる大規模な消防訓練を実施しています。
さてその“いざという時”の池ではありますが、蓮池とは名ばかりで私は今までそこに咲く花を見たことがありません。
私が生まれる以前はどうだったのかお婆ちゃんに尋ねてみると、昭和のはじめはこの池には蓮が咲きほこり、たいへん美しかったそうであります。
しかしいつの頃からか水草のヒシが異常繁殖し蓮は姿を消してしまいました。
仏教において蓮の花は特別な意味を持っています。
蓮は汚れた泥の中から生まれてくるが、泥には染まらずとても美しいきれいな花を咲かせます。
“泥”は私たちの煩悩やこの娑婆世界をあらわし“花”は仏教でいう悟りをあらわしています。
たとえこの世が汚れた世界であっても仏の知恵によって迷い、悩み、苦しみの無い境地を会得出来ることをこの花は伝えてくれます。
こんな素敵な花だからこそ何とか復活させてみようと意気込み始めたのが5年前でした。
円生院の庭では以前蓮池に咲いていた蓮を小さな浴槽に入れ育てていました。
3月ごろにはそれを返して苗であるレンコンを株分けします。
チャレンジ1年目はその余った小さな株を池に入り泥の中に埋めてみました。
ところが春になっても夏になっても音沙汰なし。
葉っぱが出ないのは苗が小さかったからかな?
と思い次の年は大きなのを沈めてみました。
1ヶ月後に池を見ると泥の中に沈めたはずのレンコンがプカプカ浮き上がっていました。
おかしいな?と思い再度深く埋めてみるも、今度は数週間後、排水溝に引っ掛かっている無残な姿を発見しました。
原因は浮き上がり、これを何とかしないと駄目だと分かり3年目は樽に苗と石を入れ、その上に土を沢山かぶせ沈めてみました。
これでもう大丈夫と確信し、葉っぱの上がってくるのを楽しみに待っていました。
5月の始め、もうそろそろ何か出てくる頃かな、と池を眺めると不思議な光景が…。
鯉の尾びれが水面から突き出て、バシャバシャ水を散らしていました。
もしやと思い水面を見渡すとまたしてもプカプカと。
しかも浮き上がった苗には新芽が出ていた痕跡もありました。
なるほど、どうやら今までの原因は“鯉”にあったようです。
彼らは新芽が好物らしく、芽が出るとそれをつたって泥を掘り進め食べてしまうそうです。
“クソ―、鯉めー”と再再再度チャレンジの4年目。
秘策は段ボールとシュロ縄。
上部を開けた段ボールに石と苗を入れて、その上に土をかぶせる。
そしてその箱をシュロ縄でぐるぐる巻きつけ鯉が掘れないようにガードして沈めました。
途中までは順調でした。
葉っぱも6,7枚浮き上がり鯉もお手上げ状態。
しかし段ボールは水に弱いのです。
箱が崩れ、紐が外れると3、4匹によってたかって食い散らかされて、またしても失敗におわりま した。
さて今年はどうかといえば、さらに改良を重ね沈めた苗は順調に成長し“5年越しの鯉”の餌食にはなっていません。
私の恋が花となって実を結ぶのもあと少しです。

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