ハロウィンもいいけど

近年10月になるとハロウィン商戦を展開しているお店が目立つようになってきました。
スイーツ好きの私にとって、美味しいパンプキンケーキを食べる好機、逃さず頂いています。
ところでハロウィンには子どもたちがお化けや魔女などに仮装して近くの家々を訪れ、「Trickor Treat」(いたずらかお菓子か)と言いながらお菓子をもらいますが、私の地元では昔からこれと似たような風習が行われています。
それは「月見泥棒」というものです。
十五夜(今年は9月8日)に子供たちが近所の家々に勝手に入り、お団子と共にお月見にお供えしているお菓子を盗んでいくというものです。
勿論地元の方々は承知していただいており、わざわざ盗まれやすいように縁側や玄関、目のつきやすい所にお菓子を用意してくれていました。
私が小学生の頃、この風習がとても楽しかったのを覚えています。
運動会や遠足と同じく、1年で1回の特別なイベントであり、前日からワクワクしていました。
親公認で日が沈んだ後に自転車で遊びに行ける解放感、宝物探しをするような心の高鳴り、ひょっとすれば月が満ちること自体も心躍る原因だったのかもしれません。
「図書館裏の家はまだ攻めてないわ」「○○さんとこは無くなってもすぐ出してくれるで」。
すれ違う泥棒仲間とはどちらの宝(お菓子)が多いか、どんな獲物(お菓子)を手に入れたのか、相手の自転車のかごに目をやりながら情報交換していました。
友達かどうか、話をしたことがあるかどうかは関係ありません。
月明かりに照らされた町全体が子供同士を自然に引き付ける力を持っていました。
ぐるっと町1周回り終わり、新たな場所が無くなるころには「すいませーん、月見泥棒です」とインターホンを鳴らし強行突入をしていました。
泥棒が呼鈴を鳴らすことは滑稽なことですが、ただ嫌な顔する大人はいませんでした。
さて諸説ありますが、月見泥棒の由来には日本人の素晴らしい心が込められているそうです。
日本の旧暦(太陰太陽暦)では月の満ち欠けによって日付が決められており、中秋は8月15日のことでした。
そして中秋の名月にはススキと共にお団子を縁側にお供えをすることが今では慣例となっていますが、昔は神棚や床の間に供えていたそうです。
では誰に対してお供えされていたのでしょう。
それは秋の収穫を司る神様に対してでありました。
魔除け代わりにもなるススキは稲穂の代わりとして、そして米から団子を作り、神様に召し上がっていただいていたそうです。
飢餓からくる死と隣り合わせであった時代、先祖から代々受け継いできた田んぼ、そこから採れる白米は今とは比べられない価値があったと思います。
ところがある時、神棚や床の間で神様にお供えをしていた団子がいつの間にか消えて無くなってしまいました。
では一体どこに消えてしまったのか、この謎を大人たちはちゃんと知っていました。
知っていながらお供えが無くなったのは我が家に神様が来てくれた証拠であると喜んだそうです。
その後、神様=子供がお供え物を手にしやすいようにと日が暮れると縁側に置き、満月を愛でたそうです。
そして近所の沢山の子供たちにも我が家へ来てもらい、お供えを盗んでいただく月見泥棒へとなっていったようです。
つまり近所の子供たちは神様と同じように大切な存在であったのでしょう。
わたしもこの地元の伝統文化にこのような素晴らしいルーツがあったことを知り、驚きました。
月見泥棒の思い出の裏側には子供たちへの大きな愛情が隠されていたようです。
今でも挨拶に行くと子供の頃と同じように声をかけて下さいます。
35歳にとっては少々恥ずかしいことですが、古き良き思い出と共に思わず顔もほころびます。
厚いファイルに綴じられた回覧板も今ではメールにかわり、2件隣のご近所さんの顔も分からないのが当たり前のような流動的なこの現代では、この素晴らしい風習も形を失いつつあります。
しかし今の子供たちも私と同じような体験が出来るように、この文化を継承していきたいです。
十五夜の満月は私たちを日々生かしてくれている食べ物に対し、自己の土台であるご先祖様に対して感謝を捧げ、地域で子供たちを守り育む良い機会であります。
因みに今年も月明かりの下、円生院には沢山の神様たちが訪れてくれました。

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