人生何回目?

第2回目の悠悠日記、無事9月に発刊出来ました。
先月から始まったこの小冊子ですが、原稿をあげなければいけない期限はだいたい1カ月前。
そこから構成なんかをして印刷会社にデーターを送る。
第2回目にして時間に対する切迫感を感じながらパソコンと向き合っています。
何とかなるでしょ!!と思っていましたが、まさに“言うは易し行い難し”のこの状況。
第1回の寺子屋新聞、実は3カ月ほど時間をかけ作りあげました。
現在8月上旬、もう少しでお盆参りも始まります。
“無事に発刊出来ました”と1行目に書いたもののどうなるかは仏のみぞ知る。
仏様、どうぞ智慧をお貸し下い!。
“フリーズする”という言葉をご存知でしょうか。
“コンピューターの動作が突然止まってしまう”という状態を指すそうです。
おそらくパソコンが普及し広まった言葉だろうと思いますが、人が何かの突然の衝撃で頭の中が真っ白になってしまい、動きがとまってしまう時もこの言葉を使うそうです。
つい最近、私もまさにフリーズしてしまった、という場面に遭遇いたしました。
私の友人が無事に子どもを授かったので、奈良ファミリーへ家族3人で出産祝いを買いに行った時のことです。
お祝いの子ども服を買い終え、地下の食料品売り場へ移動するためエレベーターに乗り込みました。
妻はベビーカーで息子を連れていましたので私は入口のボタン操作付近に立ち、地下に到着すると他のお客さんと2人が出終わるまで開くボタンを押していました。
そして皆が出たのを確認し私が出ようとした時、突然50歳前後の真っ黒に日焼けしたおじさんが走り込んできました。
当然鉢合わせになり、お互いの肩が“バンッ”とぶつかってしまいました。
私はとっさに「あっ、すいません」と声をかけました。
その男性の方はというと無言で乗り込み、扉が閉まる瞬間………「邪魔やハゲ」………と言いました。
「?えっ?」と思い振り向いたときにはもう扉は閉まり、階の点滅ランプだけが切り替わる、その景色を茫然と眺めました。
おそらくこれが“フリーズする”というものだと思います。
しばらくして妻に「ちょっと今の聞いた?」というと、
「聞いた聞いた。あれ、パパに言ってんで。だってパパしかいなかったもん、あてはまるの」と言われました。
いてもたってもいられず「ちょっと言ってくるわ」と言い残し、階段を駆け上がりそのおじさんを探しに探したものの何処にも見当たらず、後に残ったのはこみ上げる不快感のみ。
やっぱり修行が足りないと後で思いましたが、探し回ったのは“怒り”というよりは“疑問”によるものでした。
何故そんなことを言ったのか?言う必要があったのか?考えると考えられへんことばかり。
とにかく溜息をつきながら家に帰りました。
後日、この事を同じく僧侶である先輩に伝えると、いい解決方法を教えて下さいました。
やはり日々の生活の中でとても考えにくいことが数々起きます。
このエレベーターもそうですが、電車でも下りる方を待たずに乗り込む人、飲食店で何故か横柄な態度で店員に接するお客さん、車で走ればポイ捨てをする人など、いわゆる“モラルのない人々”を目の当たりにした時、我々は怒りを覚えてしまいます。
坊主たるものそんな方にも説教すべきですがまずは自分の怒りを抑えることが重要。
その方法、考え方としてまず「その方達は人間として1回目の人生を送っているんだ」と思う「だからまだまだ不慣れなんだ」と思ってあげよう、というものでした。
仏教には輪廻転生という教えがあります。
人としての生涯をとじたとしても、また別の生物になり生まれ変わる。
馬であったり蛇であったり虫であったり、ちょうど車の車輪のようにぐるぐると生まれ変わっていく。
ただ前世でどのような生き方をしたかということが、その次の来世にかかわってくる。
いわゆる“因果応報”であり、その運命は永遠と続いていく、という教えです。
エレベーターのおじさんも、輪廻の中では1回目の人間なんだ。
だから姿はおじさんでも、輪の中からみれば赤ちゃん同然、新人さんなんだと思えば自然と自己の怒りの炎は鎮まっていくよ、と教わりました。
あーなるほど面白いな、と思いましたが1つ疑問が浮かんできました。
……私はいったい何回目?……

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