正しいとは

はじめまして、わたくし、ここ長弓寺円生院で副住職を務めています、宥亮(ゆうりょう)と申す坊さんです。
歳は32歳で2年前に結婚し、子供も授かりパパとしては1年生、僧侶としてはあっという間に10年生になりました。
前々より考えてはいたものの、なかなか実現できずにいたこの新聞、この度ようやくスタートを切ることができました。
そして記念すべき第1回目、考案当初はタイトルも「円生院時報」と気合の入ったガチガチな名前でしたが、よく考えてみれば発行目的と合わないことに気付き、ぐっとソフトな悠々日記に変更いたしました。
その目的ですが、何かと敷居の高いお寺、1日どんな生活をしているのか謎に包まれたお坊さん、「仏教」といっても範囲が広く、どんな考えなのか分からない、との声をいただき、気軽にそれらに触れていただける、また私自身も学ぶ場になる、そんな寺小屋新聞に出来れば幸いです。
最初の悠々日記、何をテーマに書こうか悩みました。
仏教の教えにすればいいのか、はたまた「日記」なのでツイッターのようなつぶやきっぽいものを箇条書きにしようか、いったい何が〝正しい〟のか………そこでふっと脳裏によぎったのがある霊場巡りでの思い出でした。
教義などからは少し離れてしまいますが、第1回目の悠々日記はわたし、宥亮の思い出話を綴りたいと思います。
私が仏門に入ったのは今から9年前の平成15年、高野山の専修学院という修行道場に入り1年間行を積み、僧侶としてのスタートラインに立ちました。
そしてその道場を出たあとすぐに四国八十八ヶ所の歩き遍路へと向かいました。
毎年春先と秋口になればたくさんの方々が四国へ赴き、お大師さんと共に歩く同行二人の修行の旅をなさいます。
私も1カ月あまりをかけてお大師さんゆかりの地八十八ヶ所を巡り歩いたのですが、ちょうど遍路も半分あたりまでさしかかった四一番札所、龍光寺へと向かう道中、ひとりのおじさんと会い、一緒に次の寺へ向けて歩くことになりました。
その方はもうかれこれ20回以上四国遍路を重ねられている方で、お遍路にまつわる様々な話を駆け出しの僧侶である私にしてくださいました。
今まで会ったお遍路さん、自殺を考えここに来られた方もいれば罪を償うため、はたまた大切な人の供養のため、いろんな方と一期一会でいろんな話をさせてもらったこと。
また、あそこのお寺の住職は実は……なんていう噂話も教えて下さいました。
そこでふっとそのおじさんに向け「正しいお坊さんって一体どんな方ですかね?」と、今から思えば何故こんなことを言ったのか分かりませんが、若き頃の私は自信が無く悩んでいたのでしょう。
おじさんはすこし口元が緩んだあと答えを考えてくれているのか下を向き、トボトボと遍路道を歩き出しました。
沈黙のまま1キロ程歩いたところで「〝正しい〟の〝正〟の字、これ何でできているか知ってる?実は〝一〟と〝止まる〟の〝止〟の字で出来ているんよ。
この一は何なんだろうね、じっくり道中考えなさい。
そうすればお大師さんが答えを教えてくれるかもしれないよ」と話してくれました。
質問に質問で返された私は困惑しましたが、そのおじさんと別れた後も「正しい答え」について思いを巡らせながら歩き続けました。
山あり谷あり出会いありを重ね、そして無事に最後のお寺、大窪寺にて成満した際、ふっと思いました。
ひょっとしたらあの〝一〟と〝止〟は〝一つの場所に止まっておく〟のではなく〝一つの事に思いを持ち続けること〟じゃないのかな?この四国遍路でお大師さんと共に歩く同行二人の気持ちを持ち続けることが大切なのと一緒じゃないのかな?と。
そして10年近く経った今「正しいお坊さんって一体どんな方ですかね?」、この私なりの結論は〝正しいお坊さんって一体どんな者か考え続け、それに向かって歩き続けること〟が、四国でお大師さんに教えていただいた答えじゃないかなと思っています。
この寺子屋新聞も、目を通してくださった方が何かの時に心の支えとなれる、仏さんの智恵を見つけてくださるそんなものになるよう、〝正しい〟新聞になれば幸いです。

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