過去、未来と寄り添う

「人生は苦なり」と釈尊は説かれました。
言いかえれば人生思い通りにはならない。
その人生とどう向き合い生きていくかというのを示したのが仏道の原点です。
“死に対する苦”など逃れることのできない苦に“愛別離苦”など精神的な苦しみを合わせた四苦八苦はあまりにも有名なところではないでしょうか。
思い通りにいかない人生を受け止め、苦を避けるのではなく苦を担いながらそれを乗り越えていく。
苦と寄り添い懸命に生きていくのが私たち人間です。
梅雨も明けほてりを残す夜の静けさに、独唱する蝉の声を聞くと、私は少し憂鬱になります。
“もうすぐお盆が訪れる”。
いわゆるお坊さんアルアルですが、盛夏に入ると話題に上るのがお盆について。
段取りは済ませたか、もっとも忙しい日何件おまいりするのか、書きものは済ませたかなどと、この時期お坊さんが2人寄ればいつも同じような話をしています。
「何故憂鬱なのか」と聞かれれば「心配だから」と答えます。
無事に8月17日まで乗り越えることが出来るか心配なのです。
この日は円生院で“お施餓鬼会”があるのですが、ここまでの道のりに幾つもの心配事が詰まっています。
1、事故しないか不安苦(お参りが遅れがちになり、ついつい急ぎ事故してしまう)。
2、風邪引かないか不安苦(この時期に体調を崩すと多くの方のご迷惑になる)。
3、雑念が入らないか不安苦(お坊さんにとっては多くお参りする中の1件だが、その家の仏様、家庭にとっては年に1回の大切な一時である事を深く感じながらお勤めする、ということが多忙につき疎かになってしまってはいけない)。
4、思い出から来る不安苦(過去の記憶から、何となく不安に苛まれる)。
お寺にとって葉月は特にせわしい月でありますが、“忙しい”とは“心が亡くなる”と書きます。
今は亡きご先祖様のお供養に、お坊さんが心を失ってしまっては元も子もありません。
そうならないよう初心を忘れず迎えることは大切なことであります。
私は毎年お盆の時期に1件だけ無理を言ってお参りさせていただいているご家庭があります。
そこはお寺の近くにある幼稚園から幼馴染の親友の実家です。
小学生の時、毎日のように遊びに行っては親友のお父さんにかわいがってもらいました。
時には音楽を教えてくれ、時には進路相談に乗ってくれましたが私たちが大学生の頃、癌で他界されました。
僧侶になり、初めてのお盆に意気揚々と報告をしに行ったのをよく覚えています。
「心配してくれたけど、修行も成満してお坊さんになれたよ」と。
それから毎年伺うのですが、私にとっては原点に立ち返ることのできる大切な時間です。
沢山のお孫さんたちも集まって下さり、一緒にお経を読んでいると扉の陰からフッと顔を出してくれるような気がします。
「今年もありがとう」との親友からの一言が、年を重ねるごとに似てきていることに驚きます。
きっと笑顔で同じことを言ってくれているだろう、別れ際そんなことを思いながら車を走らせると、自然と心が満ちています。
四苦八苦の1つである愛別離苦、愛する者との別れは耐え難い苦悩を伴います。
しかしたとえ死別であっても残された我々はその方の魂をも自分自身の生き方として受け止め、そして寄り添い歩む。
そうすることが出来れば、きっと手を差し伸べて、優しく背中を押してくれます。
暑き夏の日にご先祖様を迎え入れ、いつも守ってくださっている感謝と祈りを捧げる。
価値観やライフスタイルが急激な変化を遂げる現在では、“お盆事情”も変わりつつありますが、受け継ぐべき素晴らしい精神をも時代の波に埋没させてはいけません。
過去や未来と寄り添い、つながり合うことで今を歩む。
そして自分の命が当たり前ではないこと、何と得難いものを授かったのかを感じることが出来ます。
自己の命の尊さに気付き、そこから全ての命に対する敬いが現れます。
自分を大切にできないものが、どうして他を思うことができましょう。
これぞ仏教の生命観ではないでしょうか。
命の尊さを観じ、全ての命に感謝する、そんなお盆になれば未来への大いなる遺産へと引き継がれていくはずです。
その本懐の一助となるため私は今年もお盆苦と寄り添います。

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