“お”の付く日本

明けましておめでとうございます。
平成26年が幕を開けました。
いち僧侶の日常の疑問や思いを綴った悠悠日記、今年もご愛読いただければ幸いです。
さて、去年の流行語大賞の中にオリンピック招致最終プレゼンで滝川クリステルさんが用いた“おもてなし”が挙げられました。
この言葉には日本社会に根付く歓待の精神が含まれているそうですが、“おもてなしの精神”って一体どの様なものなのでしょう。
例えば一流ホテルのコンシェルジュが宿泊客の様々な要望に応えるようなことを指すのでしょうか。
はたまた相手を上手に褒めたたえることでしょうか。
何か違う気がします。
滝川さんはこの言葉を見返りを求めないホスピタリティーの精神と表現し、一例として日本では落とし物がほぼ確実に戻ってくることを挙げました。
私は一度財布をガソリンスタンドに置き忘れ、30分後無くなっていました。
しかも数ヶ月後警察から「宥亮さんは生きていますか」と突然連絡があり、あわてて事情を聞くと橋げたに靴とあなたの運転免許証が添えられていたと…。
私のその一件は例外だとしても、“おもてなし”の説明としてはどうも腑に落ちませんでした。
では日本人独特の迎え方、“おもてなし”とは。
この言葉は動詞の“もてなす”の連用形用詞“もてなし”に丁寧語の“お”が付いたものだそうです。
“もてなす”とは“なす(成)”に接頭語の“もて(以って※動詞に付属して強調する)”が付いたもので、そもそも“とりなす”や“取り扱う”といった意味があるそうです。
語源をたどってもやはり掴めません。
そこで私的な独特の解釈をご紹介いたします。
実はこれに似た言葉を私は知っています。
それは“おせったい”です。
この語も“おもてなし”と同じような意味で使われます。
しかし私は普段使っている“接待”とは違った表情の言葉“お”の付いた“せったい”にお大師さん縁の地を回る四国八十八か所で出会いました。
約10年前に遡りますが、私は高野山で1年間の修行の後すぐ歩き遍路に行く事になりました。
ようやくお坊さんとしてのスタート地点に立っただけの私は、恥ずかしながらお遍路とは何か全く知りませんでした。
巡禮をお寺巡りのスタンプラリーぐらいにしか考えていませんでしたので、立つ前に師のもとに話を聞きに行ったところ、教えていただけたのは必需品と「おせったいは決して断ってはいけない」ということだけでした。
「あとは行けば教えてもらえる」と言われ出発したものの、始めの頃は辛いものでした。
足が痛い、肩が痛い、野宿の場所が見つからない。
そんなことから口から出るのは愚痴ばかり。
まだ1週間も経たない、そんな頃だったと思いますが、今でも鮮明に思い出す、ある出会いがありました。
日暮れの街中の歩道を歩いている時、気付けば私と同じ速度でゆっくり走行している車が横に付いていました。
驚き振りむくと、走り去って行きました。
「何だったんだろう」と不思議に思いながら歩いていると、数分後また同じ車が私の横に付き、「すいませ~ん」と声を掛けられました。
「やっぱり何か言おうと思って引き返してきたんだ」と思い恐々近づくと、40前後の女性が「これ、おせったいです。お願いします」と告げ、袋を渡して去って行きました。
中を見るとおにぎり2つとお茶が入っていました。
私の頭の中は疑問だらけです。
他人である私に何故わざわざ先のコンビニへ行き、また戻って接待してくれるのか。
その後も様々な人から“おせったい”をいただきました。
この疑問は同じく歩き遍路をしている方に教えていただきました。
「“おせったい”してくださった人は皆君と同じように巡禮をしたいが、色々な事情で出来ない。
だからその篤い思いを色々な形で託して下さることを“おせったい”と言うんだよ。
だから断ってはいけない」と。
約1カ月後、背中に沢山の人の思いを乗せて無事に88番大窪寺に着きました。
多くの方の“おせったい”“おかげさま”をいただき歩けたこと。
そして今生きていることが、どれほど“おかげ”を頂いているのか実感し喜びに溢れていました。
“おもてなし”“おせったい”“おかげさま”。
“お”の付いたこの言葉には素晴らしい共通点があると思いませんか。
2020年東京オリンピックには是非ともこの素晴らしい日本を世界に観じて貰いたいものです。

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