人情の処方箋

去年11月の「仏教豆知識ナルホトケ」にも掲載いたしましたが、お寺と落語には深い関係があります。
今では天満天神繫昌亭など落語専門の定席が数多くあり、たまにお寺で高座を設けるともなれば、珍しさに訪れる方々が沢山おられます。
しかし元々噺家(はなしか)さんが上る高座はお坊さんが仏教の教えを皆に聞かせる場所であったそうです。
『小僧が夜更けに長いサオを持ち庭の中をあちらこちらと振り回している。
坊主がこれを見つけ「何をやっているのだ」と尋ねた。
「空の星が欲しくて、打ち落とそうとするが落ちない」
「さてもさても純な奴だ。そのように工夫が無くてどうするのか。そこからではサオが届くまい。屋根へ上がれ」』
有名なこの話「星とり棹」は、“落語の祖”と言われている安楽庵策伝上人が残された“醒睡笑”という説教話集の中に収められているものです。
その中には他にも“子ほめ”“かぼちゃ屋”“無筆の犬”“平林”など現在に残る落語の原話も多くあります。
戦国中期に生まれ、浄土宗の僧侶として出家した策伝上人は、一部の特権階級のみにしか浸透していなかった仏教を文字の読めない民衆にも何とか伝えようとされました。
そして民衆の暮らしに見出した滑稽話の中に仏の教えを入れこみ、やさしく、おかしく、庶民から大名にいたるまで誰にでも分かるような巧みな話術で高座に上り布教されたそうです。
私と落語の出会いはおよそ10年前、気がふさいでいた時に偶然テレビから流れてくる桂枝雀師匠の「七度狐」という古典落語を耳にしたことから始まります。
最初は「何だ、落語か」とチャンネルを回そうとしましたが、師匠の表情、しぐさ、声に釘付けになり、いつの間にかケタケタ笑っている自分に驚きました。
偶然の出会いで落語ファンになった私はそれから落ち込んだ時などよく落語で元気づけられたものです。
好きな理由には単に楽しいだけではなく、そこには人情味溢れる世界が広がっていることがあります。
噺には様の変わった人間が毎度のごとく登場しますが、その者が繰り広げるおかしな出来事に対し、周りの皆も翻弄されながらも関わり合いを持ちながらサゲまで進んでいきます。
「寝床」という演目では今でいうところの歌謡曲にあたる浄瑠璃が大好きな旦那さんが様の変わった人間として登場します。
しばしば浄瑠璃の会を開き、町の者を招待しては色々な御馳走を用意し、自分の浄瑠璃を聞かせようとします。
しかし1つだけ問題があります。
それは浄瑠璃がド下手なのです。
招待された人々は普段はお世話いただいている旦那さんの機嫌をそこなわず何とか逃れようと仕事や病気を捏造して断ります。
しかし誰一人として来ないことで旦那さんは嫌がられていることにようやく気付き、また大騒動を起こすのであります。
この落語は人々の都合、自分勝手な都合のぶつかり合いが見所です。
都合ばかりを押しつけていたのでは当然もめ事が生じます。
だがその不和も不思議と笑いに変わっていきます。
最近ではスマホなどを使い手軽に自分の情報を発信でき、簡単に人と人とを結びつけてくれます。
私もフェイスブックを利用しています。
しかし時々思うのです、この空間は皆の都合の闇鍋だなと。
皆が何時でも好きな食材を放りこみ、皆が何時でも好きなものをつまんで食べる。
そこでは昔の食卓のように皆で同じ食事を取る必要はありません。
嫌いなものを無理やり食べる必要もありません。
だがこのままだと好きなものしか食べることの出来ない、都合の悪い人とは関われない偏食人間になりそうで心配です。
旦那さんのお浄瑠璃のような少し面倒な人間関係も、時には人生の“口に苦い良薬”として必要ではないでしょうか。
仏教からも落語からも、人生の万能薬を処方していただけます。

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