ごめんな、おじいちゃん

目を閉じ手を合わせると、今でもあの時の何とも言えない表情が私の目の前に現れます。
関西では8月はご先祖さんが各家々に里帰りをしてくれるお盆月にあたり、暑いさなかここ長弓寺にも沢山の方々がお墓参りに足を運ばれます。
皆さんはお墓の前やお仏壇の前でご先祖さんに手を合わせた時に、故人の姿を思い浮かべられるでしょうか。
円生院のお墓におられるご先祖様のなかで、私が生前生活を共にしたのは先代の祥順お爺ちゃんだけなので、お墓で手を合わせると祖霊代表として私の頭の中に出てきてくださいます。
しかし私の頭の中に出て来てくれるおじいちゃんの表情を見ると思わず「あの時はごめん」と呟いてしまいます。
私がまだ幼少であった頃、忙しくしていた両親に代わって遊んでくれていたのが祖父母でした。
特にサンタクロースのような白い立派なヒゲを蓄えたおじいちゃんはとても優しく、私はカルガモの子どものようにいつもお尻を追いかけていました。
日曜大工と庭いじりをすることが得意であったので、まだ言葉もおぼつかない頃から金槌やノコギリを握らせてくれ、釘を打ったり木を切らせてくれました。
よく畑にも一緒に連れていってくれ、砂遊びの延長でイモほりを手伝っては泥だらけの私を風呂に入れてくれました。
とにかく穏やかな方で怒ったなんてことは覚えていません。
そんな先代も実は大変な苦労をして寺を護持してこられたそうです。
亡くなってから6,7年後、私が僧侶になってから教えてもらった事なのですが、明治維新が起こり廃仏毀釈の波がここにもやってきた後は、長弓寺も衰退し今では想像がつかないほどの荒寺になってしまったそうです。
しかも私の曾お爺ちゃん、先々代にあたる宥祥さんは先代がまだ子どもの頃に亡くなり、なんとか近しい方の助けを借りて成長したものの、僧侶としてだけではとても食べていけなかったので学校の先生をしながら仏様の御守をしていました。
その間に太平洋戦争の出兵、伊勢湾台風の被害などの困難もありました。
しかしそんな苦労があったことなんて孫の私には一切自らが語るようなことはありませんでした。
今思えばもう少し様々な事を聞いておきたかったと後悔しています。
ではなぜいつもニコニコしていたお爺ちゃんの表情が曇っているのかというと、ある時2人にとって予想し得ない事件が起こってしまったからです。
私が小学3~4年生の頃、いつものように庭で池の石を渡り遊んでいた時にある物を見つけました。
池の水面から伸びた紐が石に括り付けてあり、その紐をたどると底には長さ20センチほどある水筒のようなパイプがありました。
不思議に思い「これ何?」と祖父に聞いたところ、「あー、それか。
中にモグラが入ってんねん。
」と答えが返ってきました。
“モグラ?モグラは水の中で暮らすのかな?いや、違う違う、土のなか土のなか。
おや?ではこの中のモグラさんは今現在どのような状態に?…………”。
そして大声で言ってしまいました、「お坊さんやのにそんなことして、このクソ坊主」と。
その時の祖父の何とも言えない表情が私の頭の中から離れないのです。
何故モグラ入りのパイプを水に沈めていたのかというと、当時よく畑の農作物が食べ荒らされており、それを防ぐための捕獲用の罠にかかったので逃がすわけにも放っておくわけにもいかず、そうしたようです。
最近は見かけなくなりましたがモグラが作った山を掘るとトンネルが出てきます。
このパイプは両穴に入るための弁が付いていますが、いったん入ると出ることは出来ません。
で、これをはめ込み待つと捕獲できるそうです。
先代からすると野菜を届けるため仕方ないこと、だが孫の年ではモグラが可哀想と思うのも仕方がないこと。
心の葛藤があった末の、あの無言の表情であったのだと思います。
実は今でもその畑で92歳になる祖母が元気に野菜を作り続けてくれており、この時期はトマトやオクラにキュウリ、ナスなど沢山の食材を収穫してくれています。
お盆になれば蓮の葉にそれらの野菜を盛り、ご先祖様に召しあがっていただいています。
お墓の前で“あの時はごめんな、おじいちゃん”、そう思いながらお経を読み、読み終える頃にはいつもの笑顔に戻っています。
今年もそんな時期が近づいてきました。

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