心のお化粧

兵庫県東部、六甲山地の東の端、宝塚市の北東に位置する山間に、創建1118年の歴史を刻み、荘厳な伽藍を有するお寺があります。
真言三宝宗、大本山清荒神清澄寺です。
私は約10年まえに高野山で修行したのち火の神様、かまどの神様としてひろく知られるこのお寺に入り、管長猊下の随行として3年のあいだお世話いただきました。
数年に1人しか若き修行僧は入山出来ないのですが有り難いご縁をいただき、3年間充実した日々を過ごすことが出来ました。
卒業したあとも参詣人さんの多い1月は数日間、ご祈祷受付などのお手伝いにあがります。
その受付のある天堂と呼ばれるお堂には衆生に福徳を授けて下さる諸神諸仏がお祀りされています。
なかでも大聖歓喜天、いわゆる聖天さんと呼ばれる神様はとても現世利益を得る力が強いといわれており、多くの信仰を集めています。
ただ「1代にして7代にわたる程の福徳を得」といった話もある半面、日々のお勤めを欠いたり粗末に扱うと恐ろしい障碍(さわり)を引き起こすとも伝えられています。
当山では三宝荒神・歓喜天尊の合行如法浴油供という秘法を日々何時間もかけ厳かにご祈念されていますが、管長猊下お1人にのみ伝わる秘法である故、代役を立てることができません。
雨の日も風の日も、熱が出た日も骨が折れた日も行われます。
法務による不在の日は、その間のお勤めを前日または数日前から行う「拝み越し」を修し、一日も途切れることはありません。
十数年のあいだ、たった1人でこの法務を厳修なされています。
卒業前にその激務について猊下にお尋ねすると「いやいや、私はただお堂に入り手を合わせるだけ。
拝むための壇を整えてくれる君や周りの力添えが無ければ到底不可能なこと」と労っていただいたことを覚えています。
毎年とし始めのお手伝いはそのような全身全霊でご祈念なされる姿を拝見し、僧侶として1年分の気合を授けていただける私にとって大切な期間であります。
今年、平成25年も無事に出仕することが出来ましたが、この度は重ねて心ひかれる特別な出来事を目の当たりにすることが出来ました。
境内には手と口とをゆすぎ身を清めるための手水舎があり、その横には入山いただいた方々が一息つき疲れを癒していただくための休憩所があります。
聞くと去年の暮れから休憩所の中にモニターを新設し、そこに清荒神清澄寺の年間行事を紹介する20分ほどの映像を繰り返し流しておられるそうです。
「君も映っているから見ておいで」と勧められ、朝の休憩中のんびりとその画面を眺めていると、ある方に目が留まりました。
還暦を過ぎ70歳にも届こうかというぐらいの女性の方でしたが、清荒神駅からの参道を歩いて登ってこられたようで、少し息を切らせ入ってこられました。
一番奥のイスに腰かけ息が整うのを待ったあと、手鏡を出し少し乱れた髪の毛を手で撫で整え、服を正しておられました。
「あ、なるほど。ここで誰かと待ち合わせをしてはるんやな。だからやつしてはんねんな」
と思いきや女性は立ち上がり、手水舎で身を清め拝殿へ歩いていかれました。
天堂前に着くとお賽銭を上げ深々とおじぎをし、いっとき至心に手を合わせて、またもとの道を帰っていかれたのです。
帰る姿を見ている時にようやく私の勘違いに気が付きました。
その女性は誰とも待ち合わせはしていなかったのです。
手鏡を出し、身なりを整えたのは「荒神さんにお会いするのだから出来るだけ美しい姿でないと」そんな気持ちからであったのでしょう。
休憩所で髪を整え服を正したお化粧で、外見だけではなく心も綺麗になったのではないでしょうか。
私はその“心のお化粧”をなさるひた向きな姿、至心な合掌の姿に心惹かれ、思わず「ありがたいなー」とつぶやいていました。
古き仏教説話の中には時代は変われども人間の変わらぬ尊い心を感じることができ、その源である古の時代より営まれてきた“祈り”は人を心豊かに心根強く成長させてくれます。
私にとって清荒神清澄寺は“祈り”の原点に立ち返ることのできる故郷でもあり、背中をそっと押してくれる慈悲の地でもあります。
今年も管長猊下、そして名も知れぬ女性より沢山のおみあげをいただき自坊に帰山出来ました。
この私がいただいたものを当院の縁、まどか不動さんの縁を持たれたすべての方にお渡しできるよう、“心のお化粧”をして精進してまいります。

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