Vol.30「”僕が僧侶のなったわけ”」深水弘裕さん

私は、奈良県葛城市柿本にある影現寺(ようげんじ)というお寺で副住職をさせていただいております深水弘裕と申します。
私は、生まれた家はお寺では無く、26歳まで全く仏道とは関係ない生活をしておりました。
その私が、お坊さんをしてお経をあげている。
この事にときたま、不思議な仏縁を感じるときがあり、そして、その仏縁を結んでくれた今は亡き祖母の面影がまぶたの裏に浮かんできます。
私の家は薬局を営んでおり、祖母は私を大変かわいがってくれました。
私はいつも祖母の後ろを追いかけていた感覚をうっすらと覚えております。
祖母はいつも私に「いっぱい勉強して、薬剤師になるとよ。
家を継ぐんよ」と笑顔で言っていたのをいまでも覚えています。
子供の私は、「うん、わかった」といつも笑顔で返事をしていました。
しかし、その祖母との笑顔の約束を私は、守ることが出来ませんでした。
私は、祖母との約束を守るべく薬科大学に入学致しました。
入学して2年目の時、「自分は自分の意思で薬剤師になるという事を選んだのではない、ただ、両親に、祖母に、言われたから薬剤師になるのではないか、」と疑問を持ってしまったのです。
そう思うと、だんだん薬科大学に行くのも嫌になり、とうとう誰に相談もせず薬科大学を勝手に辞めてしまいました。
両親や親戚の怒りの言葉は、ここで書き表せない様なものでした。
しかし、若い私は、全く平気で「自分の本当の道を見つける」と息巻いておりましたが、優しかった祖母には、そういうわけにはいきませんでした。
たまに、祖母から電話がありました、その度に私は、「立派な薬剤師になるから、それまで長生きしてよ」と嘘をつきました。
両親も親戚も、年老いて、私が薬剤師になると言う事を楽しみにしている祖母に本当の事が言えなかったようです。
そんなある日、私がアルバイトをしている店に電話がかかってきました。
そんな事は初めてだったので、びっくりして私が電話に出ると、涙声の母が一言告げました。
「今朝、ばあちゃんが死んだ」 私は、実家に飛んで帰りました。
祖母が、眠っているように棺桶に横たわっていました。
その時の事はあまり覚えておりません。
ただ、祖母に嘘をついたまま死なせてしまった悲しさと後悔で胸が苦しくなり、涙が止まらなかった事だけ覚えています。
祖母が入った棺桶の横で一晩中泣き続けました。
その気持ちは、祖母の葬儀が終わり、満中陰が終わっても消えませんでした。
消えないどころかドンドン胸の中で膨れあがり、私は自分を責め続けました。
人は、本当に苦しいと、誰にもその事を相談出来なくなるのという事をよく聞きますが、その時の私はまさにそんな状態でした。
そして、とうとう死んで償おうと思うに至りました。
最後に祖母の墓参りをして死のうと、お寺に立ち寄ったとき、偶然、住職に出会ったのです。
何故かその時、住職は、私に生前の祖母と小さかった頃の私の話をしてくれました。
その話を聞いた瞬間に、私の中の固まっていた物が溶け出し、次の瞬間には自分の思いを住職にぶちまけていました。
身体が軽くなった私は、その後もお寺に通いました。
そして、自分も僧侶になりたいと思いました。
本当に苦しくて、「助けて」という声が出せなくなった方の声を聴ける僧侶になりたいとはっきりと思いました。
その住職のお力添えをいただき、私は高野山で修行をして、僧侶になり、この影現寺におります。
時折、自分の目指す僧侶になれるのだろうかという不安に襲われます。
そのたびに、仏壇の前で手を合わせていた笑顔の祖母を思い出します。
私は、胸の中の笑顔の祖母に「今度の約束は、ちゃんと守るから」と笑顔で言い、この仏道を最後まで歩み続ける事を心に誓い続けております。

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