Vol.17「無償の愛、母なる佛様 – その2 -」佐藤 榮勇さん

「何か悩んでるみたいやね、私がお世話になっている先生に会ってみる?」と持ちかけられました。
私はすぐさまその先生に会いたいと願いかけ、会う約束をいたしました。
その先生にお会いすると、女性のかたでした。
会うなり名前も名のる前に、あんた、坊さんになんなさいと言われ・・・思わず「なん言いよんか、きさん」といってしまいました。
その先生は、笑いながら「あんたが坊さんになればお母さんは寿命を全うできるよ、笑って息を引き取ることができるんよ」といわれ涙が止まりませんでした。
「あなたが、一生懸命修行をしていれば、お母さんは持ち直すし、まだまだ生きれるんよ」といわれて、迷いはありませんでした。
すぐ僧侶になる決意を固めました。
それから真夏の暑い時期に一ヶ月間、ご先祖様のお墓参りにいき掃除をしておりました。
そうすると、母の容体もだんだんと良くなっていき、悪い友人や先輩からも連絡がこなくなりました。
不思議なことが重なり私は何かに助けられているような気がしました。
それから、ノンフィクション作家で、極道の妻たちを描かれた、家田荘子さんと出会い家田さんの紹介で、鹿児島にある最福寺というお寺で修行をすることになり、それから高野山に上がることになりました。
トントン拍子に話が進み、気持が追いつかないまま、日々修行の繰り返し。
自分に迷う時もたくさんありましたが、母のためであった修行が、いつしか自分の夢に変わっていきました。
それから・・・仏様のお力のおかげなのか、不思議な力があったのか、母を救っていただけました。
今も元気に笑顔をみせてくれます。
お大師様が目指したのは、何だったのか?それは、何かに気付くこと・・・人それぞれがこの身このままで佛になることです。
密教には、加持という言葉があります。
加持とは、働きかける力(加)それを受け取る力(持)が合致したときに表れます。
これは私たちの日常生活でも経験できること。
親が子を思う気持ちが(加)です。
母親は子供が辛い思いをしていますと、かわってあげたいと思います。
自らを犠牲にしても・・・このときの親の気持ちに駆け引きはなく、無償の愛です。
佛の慈悲とはこのことを言うのではないでしょうか? そして子供はそんな親の気持ちに気付きません。
何かのきっかけでその思いに気付くことがあります。
この気づきが(持)です。
その時に「お父さん、お母さん、ありがとう」と心からいえるようになります。
親子の絆が深くなる瞬間です。
もし、すでにご両親が遠い浄土の国に御霊があられる場合は、墓前で手を合わせてありがとうと伝えて下さい。
それが供養に必ずなります。
これが、加持の力です。
母が私に命がけで教えてくれた佛の・・・観音様の愛でした。
先ほどもお話ししましたが、人は自分が人としてきれいに咲けないことを、社会構造や家庭環境、そして他人のせいにしています。
私もその一人でした。
世の中は不公平ですし、社会はきれいごとばかりではすみません。
しかし、今の自分をその社会のせいにするのは、泥水の中で育って、泥色に染まっているようなものです。
泥に染まらずに清らかに生きていくことはできます。
たいていの花は、咲いてから受粉して実をつけます。
蓮の花はつぼみの中に、すでに実をつけています。
これを花菓同時と言い、どんな人でも母の胎内に命を宿したときから心にすばらしい果実(種)を持っています。
さとりの種です。
日々この種に感謝や人への思いやりという、お水をそそいで皆様、心に佛様というきれいな花を咲かせて下さい。
人はそれを蓮に教わり両親の無償の愛に学びます。
今も私の手に残る、母の手のぬくもり・・・弱々しく握り替えした手を今でも覚えています。
母の手、これは佛様の手のぬくもりでした。
このぬくもりに、この温かさに、皆様、気付いていますか?

高野山真言宗 越木岩大師 榮潤寺

住 所 : 兵庫県西宮市菊谷町10-27
電 話 : 0798-72-5353
最寄駅 : 近鉄「東生駒駅」より徒歩15分・「東生駒駅」よりバスで「東生駒2丁目」バス停下車すぐ・ 近鉄「菜畑駅」より徒歩10分

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