Vol.18「日本の国のはじまり奈良 – その1 -」岡田 充弘さん

「奈良」とは何か?このたった一つの問いをずっと問い続けてきました。
初めまして、私は岡田充弘と申します。
奈良県の職員で、この4月から三宅町石見にあります高等技術専門校の校長をしております。
今回縁あって寺子屋新聞に寄稿させていただくことになりました。
きっかけは、池尾宥亮師に南都法話会の講師として東京日本橋にある奈良まほろば館で講演いただいた折、私が東京事務所の副所長として同館の担当をしていたことからご厚誼に預かったのがご縁です。
さて、私が生まれたのは、奈良県の中でも中和地域に属する御所市の金剛山の山麓です。
旧吐田郷村と呼ばれるこの地域は、古くは豪族の葛城氏が割拠し、生家の近くには大和の四水分神社の一つ延喜式内大社の葛木水分神社があります。
また、我が家は代々、古事記・日本書紀の雄略記にも現れる一言主命を祀る葛木坐一言主神社の氏子でもあります。
そのような土地柄からか、まるで昨日の出来事のように神武天皇や一言主命のエピソードが語られる環境の中で育ちました。
大学を出て奈良県に勤務するようになって橿原考古学研究所や奈良県ビジターズビュローなど考古学や観光の仕事に携わる中で、「奈良」とは何か。
「奈良」を特徴づけるものは一体何か。
をずっと問い続けて来ました。
ようやく、その答えを見つけたのは、奈良県の『修学旅行ガイドブック』を作る仕事に携わったときのことです。
この時、改めて自らに問いかけました。
「本当に奈良に修学旅行に来る意味・価値」は何か。
もし、その値打ちが見いだせないなら、そして奈良の価値を我々がきっちりと伝えられないなら奈良に来てもらう意味などないではないか。
むしろ「平和学習」で広島や「防災学習」で神戸に行っていただいた方がずっと修学の意味があるのではないか。
「歴史教育」で本当に奈良に来る意味。
京都では成し得ないもの。
奈良に来なければ味わえないものは一体何か。
永遠に答えが見つからないのではないかと悩みました。
しかし、脳みそが千切れるくらいに考え問い続ければ不思議と答えは出るものです。
半年ぐらいかかったと思いますが、
「そうや。この国がはじまったのは他でもないこの奈良、この土地なのだ。」とある日、すうっ~とまるで天から何かが降りて来るようにはたと気づきました。
「日本の国のはじまり奈良」これだと。
改めて考えてみれば、3世紀に桜井の纏向にヤマト王権が成立し、5世紀の倭王”武”ワカタケル大王の雄略天皇の時代、そして推古~天武の飛鳥京の時代、そして『日本国』の国号の制定や「藤原京」の都城の整備など古代の律令国家が形作られていく7世紀、710年に平城京に遷都され天平文化が花開く8世紀までずっと数百年もの間、もちろん僅かに難波や大津など県外に都が出たことはありますが、日本の国土の400分1ほどのこの小さな大和平野の中でこの国が営々と形づくられたということに驚愕を禁じ得ません。
このことは、今日、広く日本を指す言葉としても使われる「大和(やまと)」という言葉の使われ方の変化にも見て取れます。
元々「やまと」は、桜井の纏向周辺のごく狭い地域を指す言葉として使われていました。
それが、ヤマト王権が、桜井から天理の地域まで勢力を伸ばすようになると、一体が「やまと」と呼ばれるようになりました。
大和古墳群の広がる地域一体です。
それが更なる勢力の拡大につれ奈良県全域を指す言葉となり、その名残は旧国名の「大和」として残されています。
そして大和朝廷の勢力が日本国中に及ぶにつれ、日本と同義語となっていきました。
その名残は、日本精神を指す言葉としての「大和魂」やたおやかな日本女性を指す言葉としての「大和なでしこ」などに名残を留めています。

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