Vol.16「無償の愛、母なる佛様 – その1 -」佐藤 榮勇さん

お坊さんって何ですか?と聞かれるとまだ答えに困ります。
ですが、私にとって僧侶とは仕事ではなく、生き方であり、生き様であり、奇跡の果てであります。
初めまして、私は吉井榮勇と申します。
福岡県北九州市小倉出身でございます。
玄界灘の荒波にもまれて成長しました。
無法松の一生で知られる土地です。
少し私の話をさせて頂きます。
お大師様のお言葉に・・・ 「蓮を観じて自浄を知り、菓を見て心徳を覚る」。
泥の中から生じながら泥色に染まらない蓮の花は、私たちが環境に染まらずに咲かせることができる清浄な心があることを示しています。
仏教で大切にする花は、蓮華です。
なぜなのでしょう?蓮の花の生態が仏教の教えそのまま表しているからです。
蓮は泥水の中でしか育ちません。
ですが、その茎も花も泥色に染まっていませんよね。
かえって泥水をはじいて、きれいな花を咲かせます。
このお言葉は実社会に生きる私たちにダイレクトに教えてくれます。
今日の私達は、一人一人の力を軽視しがちです。
お互いを思う気持ち、家族でさえわからないことがあります。
動きださなければ何も変わらず、わかってはいても不安で仕方がない。
これだと、思える何かがあるのなら動きださなければ、何も始まりません。
明日も同じことで悩むのなら、人の眼ばかり気にしては損です。
私自身も、数年前まで泥水にどっぷりつかっていました。
何かにつけて人のせい、自分自身が悪いのに環境のせい、そして親のせいにして生きていました。
道を踏み外し、素行も悪く、昔でいうところの札付きの悪といったところでした。
そんな私を母は常に心配しておりました。
裏社会に出入りをする私は、そんなことすらお構いなく自分の道を突き進んでいました。
次第にその世界にのめり込んでいくと、母は心労のせいか倒れてしまいました。
脳梗塞という診断でした。
それでも私は、お構いなく自分の道を突き進んでおりました。
そのうち、二回目の脳梗塞・・・。
母は半身不随になりました。
その時、病院で不自由な手で私宛の遺書を書いていました。
私の中で、何かブレーキがかかったような気がしましたが、止まることができませんでした。
今の地位、お金、上層部の人間、私は切ることができません。
母は不自由な体で、まだ私のことを心配していました。
そのうち、闇の組織や裏社会の人間からスカウトがくるようになりました。
私は心の中の何かと葛藤していました。
母のことも気になります。
そんな狭間で、私はうつ状態になりました。
一人住まいの家に引きこもり、ぼーっと毎日を過ごしていました。
何日も何日も。
スカウトの返事を何度も催促され「もういっかっ」となってしまう自分がいました。
その矢先、母が三度目の脳梗塞、そして心不全と肺に水が溜まり、危篤状態になりました。
私を心配するあまり、心労がたたってしまったのではないか。
私は、泣きながら病院に走りました。
母の体には、管やら線のようなものが、たくさんつなげられていました。
CCUという心臓専門の集中治療室にはいっておりました。
母の手を握り、頑張れと、ごめんね、を繰り返し心の中で叫んでいました。
そうすると、意識がもうろうとしている母が「大丈夫やけん」と一言私に言いました。
私は拳を固く握り、心で決意を固めました。
病院を後にし、すぐ自宅に帰り、かねてから思っていた、四国遍路に行こうと考えました。
一から自分を見つめなおして、新たな自分を見つけ出そう。
そして母の前に堂々と立って、ありがとうと伝えようと考えました。
遍路の地図や装束をインターネットで購入しました。
準備をして、さあ明日から出発しようと考えていると、原因不明の高熱で三日三晩うなされていました。
これは、何かまた、ブレーキをかけられているのでは・・・その答えを探していると、友人に相談していたせいか、友人の母親から一本の電話が入りました。

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