また会える日まで1

6月中旬のある日、夜の8時頃突然の訃報を知らせる1本の電話が鳴りました。
僧侶である私は“人の死”に携わり、亡き方に佛縁を結んでもらうことはひとつの大切な勤めです。
檀家さんや知人から家族の訃報の知らせが届き、お通夜やお葬儀に際しご依頼をいただくことは日常あることです。
そんな時は、お医者さんが患者の病状を見てあたふた取り乱してはいけないように、お話を頂いたご家族にも安心をして故人を送りだしていただくため、出来るだけ落ち着いてお話をさせていただくよう心がけています。
しかしこの一報を聞いた時は動揺し、立ちつくしてしまいました。
ご逝去なされた女性は檀家さんでありましたが、とても親しくお付き合いをさせていただいていた方でした。
その方は英語が堪能でありましたので、現在お寺でおこなっている地域貢献ボランティアにも発足当初から参加していただき、活動の一翼を担ってくださっていました。
しかし活動が始まって間もなく「少し体調が優れないので、また元気になったら参加するね」と話をいただいていました。
今年の1月にはお寺の行事に来られ、元気な姿を拝見していました。
その後はメールで長女の出産に際してもとても喜んでくださり、女の子を育てるアドバイスをいただきました。
「桜の咲くころにはまた顔を出します」とのご連絡もいただいていました。
それから間もない突然の一報を聞いた時は信じることが出来ませんでした。
実は肝臓がんを患っておられたそうです。
しかしその事は口に出さず、こちらの気遣いをしていただいていたのです。
お通夜の席でご遺体と対面しても、ご遺族の方々とお話をしても、次の瞬間に後ろから「わざわざ来てくれて本当にありがとうね」とヒョッコリ現れてくれそうで、元気な姿しか知らない私はお棺の中で眠っている方が別人のような気がして、その方の“死”をなかなか受けとめる事が出来ませんでした。
その後お逮夜まいりを通してご家族の方とゆっくりお話をさせていただき、私にとっても徐々に旅立たれたことの“実感”が湧き、それと同時に「病気から来る“死”に対して不安はなかったのだろうか。
生前私はもっと力になることが出来たのではないか。
彼女にとって仏教は救いとなったのだろうか」そんな疑問に心が揺さぶられるようになりました。
ある僧侶は「個人の死に関わる人々にはその役割がある。
家族は家族の勤め、医者には医者の勤め、僧侶には僧侶の勤め。
僧侶はしっかり佛縁を結んであげることが勤めであるから自信をもってあの世に送り出してあげればよい」と。
確かにこの意見も尤もなことであるけれども、一方で現在の日本に於いて「葬式坊主」と揶揄されるように人が亡くなってしまってからの儀式をしているだけで、生きている時の苦しみ、悩みに向き合っていない、との批判があります。
これは先の役割分担を担ってきたが時代の変化に相応した活動をあまりおこなってこなかったツケが回ってきているのでしょう。
世の中の人々は命の問題に直面しても、お坊さんに尋ねるという選択肢があるでしょうか。
私もその既存の枠のひとりの僧侶であり、この度は近しい人の最後であるからそういった疑問が生じたと思います。
俯瞰で見ると「頼ってもらい人に頼られたかった」なんて虫のよすぎる話であります。
今まで私自身が“死”に対して正面から向き合ってきたのだろうか、そう改めて振り返ると僧侶として進んできた11年間がまた振り出しに戻ったような、そんな気持ちになりました。
お釈迦様は「生老病死」といった人生の中で突き当たる根本的な問題を苦しみと捉え(四苦)、そこから救われる道を私たちに授けて下さいました。
『阿含経』というお経の中に“死”に対してお釈迦さまがおっしゃった言葉があります。
「朝見かけた人の中に、夕べ会うことのできない人がいる。
夕べ見かけた人の中に、朝会うことの出来ない人がいる」と。
生あるものは必ず死に帰すということは厳然たる自然の法であり、死は突然にやってくるもの身近なことであると教えてくれています。
しかしながら私たちは自分自身や身近な方が直面しないと“自ら”の事柄として正面から向き合うことが出来ません。

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