始めまして小林禮子と申します。平成4年、父との別れの際に円生院さんにお世話になり、その後月参りをしていただいています。僭越ながら新聞へのお話をいただきましたので、ある日突然障害を抱えた私の半生をお話しさせていただきます。これを通し、同じように障害を抱えた方への理解や支えにつながればと願っています。 ロシアの小説家トルストイは「幸せな家庭はどれも似通っているが、不幸な家庭はそれぞれに異なる」という言葉を残しました。
私は自分のことが不幸だと思ったことは1度もありませんが、幸せの絶頂期に突然訪れた“災難”を受け止めるまでには随分と長い時間がかかりました。それは結婚の翌年のことでした。
その頃の日本は東海道新幹線の開業、東京オリンピックの開催と敗戦から立ち直り新しい文化の到来を告げる明るい世界が開けたような素晴らしい雰囲気に包まれていました。そんな中お腹に小さな命を授かっていることがわかり、生まれてくる子供を想像するだけで温かく幸せな気持ちでいっぱいになりました。
出産予定日が迫ると実家の母が手伝いに来てくれ、初孫の誕生をことのほか楽しみにしてくれたようです。そして無事に元気な女の子を出産いたしました。生まれたばかりの小さな命を始めて抱いた時の感動は、今でも忘れる事が出来ません。これから先、この子の成長を見守りながら共に生きていくと思うと、心の底から喜びが込み上げてきました。
退院してからも母が暫くの間付き添ってくれ、私はゆっくり養生をすることができました。そして産後の生活リズムに乗れたころ、母は安心して帰る準備を始めました。
ところがそんな時、いつもと同じように布団から起き上がってお手洗いに行こうとしたら突然“震え”がきたのです。「お母さん!お母さん!」私の大声に母が驚いて駆けつけてきてくれました。そのまま震えが止まるのを待っていると十分くらいでおさまりましたが、母は言いようのない不安を覚えたようです。母は昔から「産後の震えは怖い」とよく聞いていたのでこのまま帰るわけにはいかないと思い、私を実家に連れて帰り暫くの間様子を見ることになりました。
住み慣れた家と温かい家族が向かい入れてくれたなかでの産後の子育ては将に至福のひと時でしたが、そんな幸せは長くは続きませんでした。
実は実家の生活の中で時折来るお腹の痛みを感じていましたが、我慢が出来る程度だったので誰にも告げていませんでした。そして子どものお宮参りがあり、次の日に婚家へ帰る予定をしていた日に激しい腹痛に襲われたのです。それは今まで我慢していたようなものとは別の激しい痛みでした。あまりの痛みに病院へ駆け込みましたが原因がわからず、大きな病院へ移転し即時入院、開腹手術を受ける事となりました。手術は無事に終了し「移動性盲腸と腹膜炎の併発」との診断を受けたのですが、さらに術後数日のうちに虫垂炎から腹膜炎を起こし、尿水症を併発して意識不明に陥ったのです。そのとき医者からは助かる見込みがないと告げられ、家族は絶望の淵に追いやられましたが、私の母は諦めませんでした。回復を信じて手厚い看病を続けてくれたのです。それから約2ヶ月半後に意識が戻り、幸い命を取り止めることが出来ました。母の一念が奇跡を呼び起こしたのです。
しかし意識が戻ったからといって手放しで喜ぶことは出来ませんでした。意識不明の間に脳に十分な血液が伝わらなかったのでしょうか。手足の麻痺と言語障害が残って手足を満足に動かすことも会話をすることも不自由になり、私自身が大きな赤ん坊のような状態になってしまったのです。
〈 続く 〉