(前回からの続き)

 満月、中月、新月のワンシンと呼ばれる日には必ずお寺にお参りする人もいます。ワンシンの前夜には道沿いや市場にマリーゴルドの花やバナナの葉でつくったお供えの飾りが沢山並び、明日はワンシンであることがすぐに分かります。信心深い人はワンシンの日には食事を菜食にしたり、また、ワンシンの日に建設労働などに従事したりすることは縁起が悪いとされています。
他にも、ラオスの正月であるピーマイ(4月中旬)、雨季に入る頃の入安居、飾地飯供養祭など大切な仏教行事の日には学校や仕事も休みとなり、家族や親戚、友人とお寺にお参りに出かけます。
このような行事のある日には、朝から村の拡声器で音楽が鳴り響き、お寺からは村の長老がスピーカーで皆に参加を呼びかけます。お寺のお堂には大抵お年寄りの女性から順に集まり始め、何となくみんなの準備が整ったところで、まずは出家経験のある村の長老によってお経が唱えられます。お経はパーリ語なので、ほとんどの村人は厳密な意味は理解していないと思いますが、子どもたちも通っているうちに慣れ親しむようで、お年寄りを中心にお経を唱えることができる人が多くいます。お坊さんが仏様を背に村人の方を向いてお経をあげてくださっている間、村人たちは持参したお供え物を入れた器の淵にロウソクを灯して読経したり、お経のある部分に差し掛かると、一斉に持参した小さな容器に入った香り水を器の中に少しずつ垂らしたりします。お経を唱えたあとは順々にお供えし、お坊さんに朝食を食べていただき、その後村人にも食事が振る舞われます。ラオスの人はとても開放的で、こういったお参りに必要なものを持っていなかったり、何かを忘れてしまっても、近くに座った人が必ず貸してくれたり分けてくれます。お経があげられている最中は、まだまだ遅れてやってくる人、後ろで走り回る子ども、ここそこでおばちゃんの話し声が聞こえたり、お供え用の食べ物を分けてもらおうと野良猫や野良犬が入って来たり、とても賑やかです。
 ラオスの人々にとってお寺やお坊さんはとても身近で大切な存在です。それは、お寺によっては敷地内に公立の小学校があることなどからも分かります。
義務教育が普及する前には学校のない農村部、あるいは経済的な理由で学校に通うことのできない男の子は、お寺で僧侶になる修行を積みながら、お寺に併設される学校で一般教養を学び、さらに大きなお寺の仏教学校に進学したり、あるいは還俗して高等教育を受けたり人もありました。現在でも人々の精神的なよりどころであることはもちろん、農村開発に仏教の教えを取り入れたNGOの活動などと連携するお寺もあります。私と娘は約1年半、ラオス南部の田舎らしさが残る町の、お寺のすぐ横にある家で暮らしていました。
お寺の太鼓の音で目を覚まし、夜になると小さなお坊さんたちのお経を唱える声が聞こえてくる、という日々でした。娘も近所の子どもたちとお寺に遊びに行っては、お坊さんに話しかけていただいたり、お菓子を頂戴したり、節目の行事には勝手が分からないながらもお参りさせていただきました。作法やいろいろの教えを知らないよそ者でも快く受け入れてくれるラオスのお寺と周囲の人たちのおおらかさは、この国の国民性とも相通ずるものがあると思います。