はじめまして、京都、比叡山麓在住の舩越と申します。宥亮さんとのご縁は、奈良のパオンカフェの酒井さんから、3.11以降の被災地へボランティアに通っている私に、現地の状況を聞きたいと言っている人がおられる、とのことでご紹介をいただきました。私は、野外活動の安全対策、自然観察、環境教育などを実践するキャンプの指導者団体である日本キャンプ協会のメンバーとして、野外活動のリーダーを育成するボランティアを学生の頃より続けております。まずは私の学生時代、30数年前の心に残る話からお付き合い下さい。
大学で福祉を学んでいた私は、身体障がいのリハビリ施設で実習を積んでいました。そこで出会った女性が自ら命を絶ってしまったのです。無力感が襲ってきました。町内の子供会のリーダー、これからの可能性を秘めた命ばかりに囲まれていた私には衝撃的で、終わりがあること、死という現実、逃れようのないことを突きつけられました。  そのあと、動物行動学に明るい大学のゼミの恩師に世界最北に生息する野生猿が青森県下北半島に生息していることを教えていただき、いろんな思いを吹っ切るためにテントとスキーを担いで下北半島へ旅に出かけ、吹雪の中で猿を観察しました。気温が下がると子猿を母猿が取り囲み、そこに若い雄猿が覆いかぶさります、更に一番外側にボスサル達が…。私は言葉も出ずにその場面を見つめていました。ありのままを生きる姿がそこにはありました。人は何のため、誰のため、そんなことは小さいこと、命は守り育て、繋いで紡ぎ合うもの。そのように猿が教えてくれたような気がしました。
テント生活を終え下北の宿に泊まると、そこのおじさんが死者の霊と交信できるというイタコさんについてなど色々な話をしてくださいました。その中でも私の関心を引いたのは当時進行していた、むつ小川原開発についての話しでした。開発公社は原子力船むつを「絶対安全」と宣言し、下北の地に母港を建設しようとしていました。その、当時最先端の船は放射能漏れを起こし、どこの港からも入港拒否…すったもんだの末、むつ港へ。放射能漏れを少しでも防ぎたい開発者達がしたことは、ご飯を炊いて握り飯を作り、それを原子炉に貼り付けた、というのです。保水性がよくて崩したい時にはすぐに取り除ける素材としてご飯が使われた、とのこと。おじさんはこう言いました「科学が嘘ばっかり言っている、死者の霊は嘘かも知れんが、霊は人を傷つけたりはしねーど、どっちサ信じる
そして福島でも「絶対安全」の嘘が積み重ねられていました。
あの3.11からもう3年が経とうとしています。三陸海岸を囲う8,5mの防波堤の建設や、瓦礫の撤去は進みましたが、仮設住宅から高台の復興住宅へはまだまだ時間がかかります。超高齢化の彼の地ではローンが組めない人で溢れています。置き去りにされる人。震災は自然災害です、しかし残念ながら放射能汚染は人災です。このことを抜きに3.11以降を考えることはできません、30年以上前から原子力を取り巻く環境は変わらず有り続けています。福島県楢葉町から会津美里町の仮設住宅へ避難なさっている方々、東北で一番小さな街の皆さんが「どうか忘れないで欲しい」と言っておられます。そして「旅行者でいいから、一度でも彼の地を訪れて、ご自身の目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、今、これから何が必要なのか、を考えていただければ幸いです」と。またご自身が災害に備え、自助を怠らないことが被災者を一人でも少なくすることになり、ひいては共に助け合う共助の仲間を築くことにつながることを理解していただければ幸いです。