私は7年前に妻(享年65歳)に先立たれ、現在一人暮らしをしています。
ある日のこと、運命のいたずらでしょうか、神様だけが知っていたのでしょうか、妻が登山を始めて一番よく山行し、全て知り尽くしたと思われる滋賀県の中西部に位置する比良山で遭難し、帰らぬ人となったのであります。
"縁あって結ばれ運命によって死が訪れる"よく耳にする言葉ですが、突然かけがえのない人を失った時に"運命"として受け止めることは、私には到底出来ることではありませんでした。しかし告別式、初七日、満中陰、百ヶ日目の納骨、一周忌、三回忌、七回忌と法要を重ね、毎月命日にはお墓に花を添えお経をお唱えしているうちに、だんだんと心が安らいでいきました。妻は生前「山で死ねたら本望」と言っていました。その言葉の通り一番好きな山で死を迎えることが出来たのだからと思えるようになり、友人の「時が経てば」という言葉を最近ようやく受け入れることが出来るようになりました。毎日お仏壇の前で手を合わせ、向こうの世界には何があるのか?今はどんな花が咲いているのか?安らかにしているのか?などと様々な事を妻に問いかけています。
近年山歩きがブームとなり定年を迎えた方だけでなく若い方々も登山を楽しんでいるそうです。5月の23日には三浦雄一郎さんが史上最高齢80歳で世界最高峰・エベレストの登頂に成功し、驚きと感動を届けてくださいました。妻が山歩きを始めたのは17年前、まだ"山ガール"という言葉も無かった時でした。「やっと自分の楽しみを見つけた」と私に笑顔で教えてくれたのを今でも覚えています。彼女は週に1回程度山行計画を立て、日本アルプスなどの百名山を山行する奈良労山グループの行事に参加するのを楽しみにしていました。私も定年退職前から写真を趣味とし、妻と利尻山、鳥海山、月山、蝶ヶ岳、涸沢、御嶽山、木曽駒ヶ岳、白山、白馬山、剣山、大山、九重山、屋久島、その他近隣の山々を13年間登山し、自然の山岳風景やそこに咲く高山植物、山の花を撮影して楽しみました。私が珍しい高山植物を見つけ撮影の準備をしている間に「こっちにも、あっちにも珍しい花があるよ」と妻は手を引くように教えてくれました。また時には「山登りは自己責任やで」と山の掟を厳しく説明し、時間配分の大切さやテントの張り方、水の確保まで指南され、家庭とは違う一面を垣間見たことも度々ありました。おかげで知識、経験を積むことができ山歩きの楽しさを深く知ることが出来ました。同じく鳥海山で登山の恐ろしさも経験いたしました。山頂から残雪の残る禊川への下山路で天候が瞬時に悪化して霧が立ち込めみるみる視界が悪くなっていきました。妻との間隔は数メートル、手を伸ばせば届くような距離にも関わらず姿が見えなくなり1時間以上身動きが取れなくなりました。下山道も不確かで2人とも疑心暗鬼にとりつかれ口論となり、自然の恐ろしさ、偉大さを肌で感じる経験となりました。
妻が比良山で遭難した時期はまだ深い雪の残る2月下旬でした。登山の日の天候は晴れ、妻は「お友達と2人で行ってくるわ」と、にこやかに笑顔を見せて出かけていきました。私は「夜は寒くなるから晩御飯は魚スキにでもしよう」と話しかけたのが最後の言葉となりました。今から思い返すと、この年は例年になく全国的に雪が多く、冬山登山が危険であることは分かっていました。あの時なぜ強く止めなかったのかと今でも後悔することがあります。
行方不明の妻の捜索を警察、消防、奈良労山の友人が懸命におこなっていただき、3日目の午前11時15分に発見されました。その時妻に起こった最悪の事態を感じつつ、何度も警察の方に安否確認を致しました。「家内は生きているのですか」と。返ってくる返事は「ヘリで搬送中ですから、それ以上の事は分かりません」の一点張りでした。警察の方もそう言わざるを得なかったのでしょう。
葬儀、告別式を終えたのち、何気なく妻のノートをめくっていると"2月キリマンジャロ山行"と"6月モンブラン登頂"の計画書が見つかりその時、妻をモンブランに連れて行ってあげられないだろうかと思い立ちました。その後家族とよく相談し娘とのモンブランへの旅行計画を立て、6月に実施いたしました。生前の妻のことば、「山で死ねたら本望」という意志を汲みヨーロッパアルプスの最高峰、世界の名山であるモンブランに散骨してあげることにしました。そこには美しい花が広がり真っ青な空に峰がそびえ立ち、まるで妻を迎え入れてくれているようでした。 あれから7年、またいつかあの場所に行こうと心に決めています。